ハローワークでの水際作戦(発達障害の周知について)
先日のNHKの番組で発達障害の若者が何名か出て語っていましたが、みなさん、「自分の障害を知らずに苦悩していたこと」「就業面での困難だったこと」などを異口同音に語っておられました。自分の障害をそれと知ったからといって困難が解決されるものでもなく、就職できたら安泰というわけではないのはもちろんですが、「自分が何者であるか知ったことは大きい」とか「先々の自立した生活に不安があるままでは困難はより大きい」というのも一致した意見のようでした。
http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_06082525.cfm
厚生労働省は25日、仕事も通学もせず、職業訓練も受けていないニートに対する支援策の一環として、心理や障害者福祉の専門職をハローワークに配置する方針を決めた。
発達障害のある若者にきめ細かい支援をするためで、事業費2億1000万円を、来年度予算の概算要求に盛り込んだ。
ハローワークに配置されるのは、臨床心理士や精神保健福祉士など。若者の求職が多い東京や大阪など10都道府県の41か所に、計47人を配置する。これらの専門職は、若者が就職に成功した後も定期的に職場を訪問するなどして、若者が職場に定着するよう促す。
自閉症や注意欠陥多動性障害などの発達障害のあるニートの場合、障害の特徴を念頭に置いた就労支援が欠かせず、一般の支援策では逆効果になる場合もある。同省の調査などから、ハローワークを訪れる若者の一部には、発達障害の疑いがある者が含まれていると推定されている。
だが、本人に自覚がないなどの理由で、障害があることが分からず、障害の特性を踏まえた適切な支援をするのは困難なのが実情。ハローワークに配置される専門職は、こうした若者を見極めるのが主たる任務となる。
ハローワークは人生全般の相談所ではないのですから、就業面での相談に限られるのは言うまでもないことです。だけど、このハローワークでの水際作戦は(万能の処方箋であるはずもないのですが)少なくとも主眼は「自分の障害を知らずにいる人に、それと知る機会を与える一助になれば」「そのことで就職面でのサポートの一助になれば」ということで、大変に結構な方向性だと思います。
一方、このニュースの続報に当たるhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070502-00000067-jij-polへのブクマから、
kmizusawa
これってハローワークに行くと場合によっては発達障碍とみなされるということになるのかな。ほんとに発達障碍で就労が難しい人もいるだろうけど、そういう場合困ってるのは就労面だけじゃないだろう。
本人が知らず発達障害によって就業面で特有の困難さを抱えていることもある…というのは事実だから、該当者とおぼしき人にはそれと知らせて対策を一緒に考える体制を作りたいということでしょう(おそらくハローワークの臨床心理士ができるのはそこまでであって診断や治療という医療面でのことは医師との相談になるでしょう)。後半部についてhttp://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070504/p2で更にいろいろ指摘しているようですが、「発達障害者の困難は就業面だけじゃないだろ」とか「中高年の発達障害者はどうした」とか「具体的に何をするんだ」とか、文句をつけたいだけの揚げ足取りにしか見えません。まず何か少しでも始めようというときに、あれが足りぬこれが足りぬそれがわからぬなどと文句だけつけるなら誰にでもできます。
児童虐待の問題を児童相談所だけで解決できるはずもないが児童相談所での支援が不要ではないのと同じ…ではないでしょうか。ともかく、何かを始めることですから、運用面で不足や過誤があればまたそれはそれとして善後策を考えれば良い。若年層の就業難という問題の一環として、その中にいる発達障害者の若者の抱える困難にも着目したということでしょう。
それと、世の中で困難を抱えている人は山ほどいます。障害者の就業問題だけ取ってみても、視聴覚障害に身体障害に知的障害に性同一性障害に肝機能や腎機能の障害にと、様々でしょう。行政で対応する人員や労力や経費などコストのパイが有限である以上、発達障害だけに厚くするわけにもいかないのだから、「今できそうなことで今やるべきこと」を、どこにどれだけ割くかという問題は常にあります。
大増税して高負担高福祉の大きな政府にせよという社会的合意ができるなら話は別ですが。そういう大きな議論は別として、今ある中で今やってみようということがある。その中で「障害者どうしのパイの奪い合い」にならないよう、どのように意思形成をするかも重要な問題なのですね。外野席から興味本位に、あれが足りないこれが足りないなどと、せっかく始まった対策の第一歩に欲張りなケチだけつけるような意見は、はなはだ無責任ではないでしょうか。
それにしても「これってハローワークに行くと場合によっては発達障碍とみなされるということになるのかな」って、ずいぶんな言いがかりですね。該当者がそれとみなされてはいけませんかね。柳澤厚労相の発言に「結婚して子供二人以上いないと不健全だとでも言うのか?」と噛み付いていた人が、「ハローワークに行くとショーガイシャにされちゃうかも?」でしょうか。あるいは、「ハローワークに行くと世間からそんな目で見られちゃうかも?」ということでしょうか。
要は「病気や障害があることにされるのは嫌だよなぁ」ってことで一貫してそうですね。違いますか。それならそれで、自分は健康健全を愛するから病気や障害は嫌なんだと言えば良いでしょう。そこに、不妊で悩む人への配慮が欠けているぞとか、発達障害者の様々な困難を考えておらぬぞとか、さも自分はそこを重視しているんだという格好などつけなければいい。なにしろ実際にやっているのは、「結婚して子供が欲しいという夢がかなえやすい社会にしましょう」という発言を誹謗し、「就職でつまづく発達障害者の若者を支援できる仕組みを作ろう」という政策にイチャモンをつけているだけなのだから。
http://d.hatena.ne.jp/tazan/20070502#p2
これは恐ろしいニートバッシングだ。ニートは精神障害ではなく、社会経済の問題である。ひきこもりは日本社会全体の社会病理である。個人の責任にしないように。
えぇっと、発達障害と精神障害は違います。また、発達障害の中で自閉症は特に有名ですが、自閉症(Autism)は「引きこもり」と混同されがちです。「自閉」の字から、何だか「小さな部屋の自分だけの世界に閉じこもって外に出ない」と連想されがちなのですが、全然違います。
重度の自閉症児(カナー型など)は知的障害を併せ持っていることも多く、また典型的な行動も多い。たとえば、延々と目の前で自分の掌をヒラヒラさせて見つめ続けたり、施設の樹木の下から葉っぱが揺れているのを見続けていたりとか。「他人」というものが全くわからず、自分の認知世界の中に存在している事象としてしか認識できなかったりします(他の子のオモチャが欲しくなると、いきなり取り上げようとする。いじわるなのではなく「それ貸して?」が言えない。というか、それがわからないetc)
こういう重度の発達障害ならパッと見でもわかるのですが、知的障害も無く、極端な「こだわり行動」のような異常行動も無く、他者は他者として認識できているという「軽度の発達障害」のときには、本人も他人も気付かないことが多い。
しかし、他人の表情が読み取れないとか、場の空気を読めないとか、言葉を字義どおりにしか認識できないとか(「誰か水を汲んできてくれないかな」が「私は君に水を汲んできてほしいのだ」であることを認識できないで「誰かが水を汲んでくることをこの人は期待しているようだ。誰に言っているのかな。それに自分で汲んでくればいいのに不思議だな」と思ってしまうetc)いろいろあって、人間関係での恒常的なつまづきが多くあります。
そうした発達障害による人間関係の失敗等が積み重なって、慢性的な極度の自信喪失、人間不信、あるいは鬱病など精神疾患に陥るケースもあって、二次障害として精神障害を発症することもあります。また、就業面でも失敗の連続で、自立した生計を立てることができない悪循環に陥ったりすることもあります。
件の記事の表現は、それを指したものでしょう。もっとも、二次的に精神障害を発症している状態の人は就職活動どころではないでしょうから、ハローワークを訪れて来る人ということになると「精神病理の点では健康だし就労意欲もある」という人が対象者ということになります。そうした人々の中で、本人が知らず発達障害を持っている人には、(通常のサポートとは異なる)それ向けのサポートを始めようということでしょう。
こうした施策が「恐ろしいニートバッシングだ」とお感じになるのは、発達障害と精神障害を混同されていることにより「ニートをキチガイ扱いする気か」と思われたからではないかと思います。ですが、ニートが社会経済の問題であるのはその通りだし、「ニート=精神障害」でもありませんし、「引きこもり=自閉症」ではないし、「発達障害=精神障害」でもありません。
ですから、これらのことを「本人の責任だ」という安易な自己責任論を否定する形で、こうした施策を厚生労働行政の一環として始めてみようということです。あと、コメント欄の後藤和智さんのご意見ですが、
それは「発達障害の疑いがある」ということを、誰が決めるのかと言うことです。
発達障害の客観的診断における国際基準は児童に限定されておりますが、既に大人になっている人の場合、どうしても自己申告による過去の諸特徴も含めて医師が判断せざるを得ません。ですので、本人が「違いますよ」というのに、医師のほうで断定することはないと思います(いたら藪医者でしょう)。
ハローワーク駐在の臨床心理士だけで「診断」するのかどうなのかは、この記事からは、わかりません。正確に診断するなら、専門科医の判断も必要なのではないかと思います。該当しそうな人にこの障害を紹介して、当人が「そういう障害があるんですか。だったら自分にも思い当たることが多いです。そうかもしれません」という場合に、医療機関で診断してもらうということになるのかもしれません。
《発達障害は軽度なら、本人も気付かないことがある》なる文言が、あまりにも拡大解釈され、あいつも「発達障害」、こいつも「発達障害」ということになりかねません。
確かに、ADHDやアスペルガーなどで、安易な自称他称もまま見受けられるように思います。思えばアダルトチルドレンブームや、「あの人は○○性人格障害だよねぇ、わたしは××性人格障害だと思う」みたいなメンヘル系ブームもありました。そんな風になると困るなぁとは私も思います。
というより今、その素地は十分にあるといいます。かの悪名高き、樋口康彦の「準ひきこもり」概念がほとんど批判されることなく流通してしまっているのがまさにそれでしょう(まあ、あまりにも下らなすぎて無視されているだけかもしれませんが)。「発達障害」なる概念を元に、新しい利権が生まれてしまわないかどうか、我々は注視すべきでしょう。
樋口康彦氏の「準ひきこもり」概念というのは初めて知りましたが、これですね(準ひきこもり - Wikipedia)。発達障害は器質的なもので医学概念ですので、そうした思いつきのもの(後藤さんの言われる「俗流若者論」)と同レベルに扱ってもらっては困ります。利権というのも何のことだろうかと思いました。いい加減な内容の出版物が「発達障害」を銘打って金儲けの類になる危惧ということでしたら、どんどん批判してやってください。そのためにも、後藤さんのほうでも政府や記者の無知などと決め付けないで、発達障害とは何かについてよくお調べになってほしいと思います。