「沖縄は日本ではない」という差別について

 戦前の沖縄で、土地の言葉を使うと責められた、という話をよく聞く。沖縄の人々は「日本人である、日本国民である」という意識が低い…という中央政府の認識の下での、皇民化教育の強化があったと聞く。しかしそのことを問うなら、偏見や差別意識が強かったことのほうが、主因ではないか、そのようにも思えてならない。逆にいうと、当時の本土の人士にとって「沖縄」がどう見えていたのか、ということにもなろうかと思う。ウチナンチュでありつつヤマトンチュとともに日本人であるという意識が、そんなに低かったのだろうか。ならばなぜ、沖縄県民はあれほど米軍に奮戦し、戦後の沖縄は日本に復帰しようとしたのか。


 沖縄の人間は日本人としての認識が弱い…と本土の人間が思うとする。しかしそのようにその人が思うとき、その人にとっての「日本」とは何か。あらかじめ引かれた線に沿って「日本」を囲い込み、少しでも異質と思われたならば「日本ではない」とみなす。しかしその場合の線は何の線なのだろうか。どのようなものが「日本」として想起されているのだろうか。その線の外に沖縄を位置づけるとき、それは本土の人間が勝手に、沖縄はどこか日本ではないかのようにみなしているのだけではないのだろうか。


 沖縄戦での県民の奮戦ぶりをして、これぞ悪しき同化政策の結果だったと考えて良いものだろうか。そのような教育が無かったら、沖縄県民は米軍を解放軍のように感じたりしたのだろうか…そんなことはないだろう、と私は思う。いや、「もしかしたら沖縄の人は米軍を歓迎しやしないだろうか」という猜疑心があったから、スパイとみなされて殺されたという悲劇を生みもしただろう。沖縄の人は日本人とは言い切れないから云々というのは、戦前と戦後では向きは正反対だが、扱いは同じではないかと私は言いたい。


 だが本土決戦をしていたら、おそらく沖縄で起きたことと同様のことが本土でもあっただろうし、あの当時の死生観とか戦時教育の影響も確かにあって集団自決にまでなったろうけれども、「日本人でもない沖縄の人々を日本の戦争に巻き込んでしまった」かのような認識で「日本民族として琉球民族の人々に申し訳なく思う」みたいなのは、それは違うでしょう、と。それはつまり「あんたたちは私たちと同じ日本人ではないんだよ。この国のフルメンバーじゃないんだよ」と言ってるに等しいじゃないか、そりゃ差別じゃないか、と。


 つまり私がここで言いたいのは、戦前の同化政策と向きは反対でも同源のものが、戦後の本土の人間の中に、むしろ沖縄びいきの人の中にある、差別意識が善意の衣で潜在化しているということだ。


 端的に言って、アイヌ人が和人と異なるほどには、ウチナンチュはヤマトンチュと異民族というほどではないはずだ。琉球王国というのは、間違いなく日本民族が形成していた「もうひとつの国」であって、異民族の別の国家だったということではない。それなのに別の国を作っていたことだけを指して、そのことを表面に振りかざしながら、心のどこかで異民族扱いしてきたのは本土の人じゃなかったか。


 そうすると、本土の人間が過剰に沖縄を特殊なものとして見る視線そのものが、時に極端な同化主義にもなり、時に逆に極端な分離主義にもなる。戦前は前者が多く、戦後は後者が多いのだとすれば、要するに何も変わっていないではないか。さして沖縄の人々の賛意を得ているとは思われない「琉球独立論」に安易に頷いてしまう本土の人もいるが、つまりそれだけ「沖縄」を何やらすごく別なものとして「日本」から疎外してしまっているだけではないか。


 沖縄県民に向かって「あなたたちは私たちと違うはず」「あなたがたは私たちとは別の国の人なのではなかったのですか」「なぜあなたがたは、私たちと同じだと思っているのですか。そう思わされているだけでしょう」と本土の人間が主義信条の元に口走る。たぶんにそれは戦後の良心とされる。しかし、自分が何を口走っているか、ほんとうにわかっているのだろうか。


 思うに、津軽であれ薩摩であれ備州に紀州に信州に、独自の言葉や文化というものは沖縄に限らず日本国内にいくつもあった。その独特さの濃淡はあっただろうが、「沖縄が本土と異なる」というときの比較対象は本土のどこなのだろうか。前近代において、江戸と薩摩が異なる、上方と津軽が異なるということと、沖縄が本土と異なるということと、どれほどの差があったというのだろうか。言葉ひとつとっても、沖縄の言葉が標準語とものすごく違うというなら、薩摩や津軽の言葉だって標準語とものすごく違うじゃないか…そんなことを考えてしまう。もしそこで「だからして薩摩も津軽も日本にあらず」とまで言ってのけられるなら、それは東京や大阪のみが日本と言うに等しく、まさかそのような奇怪な日本論を真顔で主張する人もいるまいに。なのになぜ、沖縄のみそのように言われて、怪訝に思うどころかそれが差別だとも気付かれずに、さもそれが正義かのように思われてしまうのだろう。
2005-08-25


 俗に「沖縄の本土化」とも言うけれど、もしそれを生活水準とかでの「本土の平均的な水準に近づけること」であるならよし、地域文化のことでそういうなら、独自の文化を喪失して標準化が進んだのは、ひとり沖縄だけではないだろう。九州も東北もどこもかしこも「本土化=標準化=画一化」してきたのが、日本の近代ではなかったか。


 それは真に問うならば、それはもちろん「江戸」も含めての話であるはずだ。江戸の東京化、東京の標準化、そこまで含めて地域文化の衰微というものを考えてもみる。江戸の文化の衰微が問題にならず沖縄のそれのみが罪悪感をもって語られるならば、そのときにはズッポリと「沖縄は日本にあらず」と疎外していることにならないだろうか。私はそのように考える。


  オーストリーはドイツ民族を代表する由緒ある国である。その都のウィーンはかつて、ドイツ民族の憧れの都であった。だが近代以降に北辺のプロイセンが中心になって成立した「ドイツ」の名を冠する国家とは別の国である。だからといってオーストリー人がドイツ民族ではないわけがない。プロイセンの人とは異質な気風や文化もあるだろうが、オーストリーだけが特別にドイツ民族の中で風変わりなのではない。国としてプロイセンからバイエルンまでが一つの国になりオーストリーが別の国のままであったことは、オーストリーだけがドイツにあらざる存在だということではない。


 沖縄が琉球という国家を再建するかどうか、そうするべきかどうかは、民族の話とはまったく別のことである。オーストリーナチスドイツに併合されたが戦後に再建された。それはこの国の人々が「ドイツ人ではないから」ではない。プロイセンが中心となって建設した「統一ドイツ」の枠外にある、古くからあるドイツ人の国として再建されたものである。沖縄の人が日本国に帰属するか琉球国を再建するかは、現代および将来の沖縄の人にとって「自分達はどの国家に帰属したいか」という選択であって民族問題ではない。沖縄県民は戦前も戦後も日本国に帰属を願ってきたのに、それを本土の人間が疎外して特別視し続けるのは、差別以外の何ものでもない。