過ぎたるは及ばざるがごとし

 日本史の教科書における沖縄戦の記述をめぐる検定について「修正意見は妥当だが修正後の記述は妥当ではないと思っているようだが、しかしそれなら組合の先生が補うことを期待するのは属人的な要素に頼りすぎではないか」とのご意見を、先のエントリ「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984のコメント欄で、たんおさんから頂きました。長くなったので、新たなエントリを起してお答えいたします。


 修正後のその記述でも妥当だと思ってますよ。省略しすぎで工夫が感じられないという不満感は個人的にもってますけど、そういう個人的な不満感を理由に「教科書の記述として妥当ではない」とはなりません。なぜなら、「集団自決に追い込まれた人々もいた」のは史実であって、史実そのままを書いてるのだから妥当でないわけがないです。


 では、なぜ追い込まれたのか、何が追い込んだのかという疑問は出てくるでしょう。そこを考えさせるのも歴史を学ぶことの意義ですからね(これについての私見は後述します)。しかしもう少し何か橋渡しの記述があっていいのに、という不満感がある、ということです。また、私自身は、日教組の先生の歴史観には相容れません。なので、組合の先生に「期待している」のではありません。でもですね、これまた個人的な理由で「変な補い方を組合の先生がするだろうから、そういう余地を残した記述は妥当ではない。赤い先生が補えないような記述であってはじめて妥当な記述と言えるのだ」なんて、記述の当否の客観的な理由にならないでしょう。


 だからそういったことは、修正後の記述が妥当かどうかという史学としての基準とは関係ない話なんですね。そもそも組合の先生が「赤い補い方」をしても、それ以外の情報はいくらでもあるんだし、ということです。


 それに、mojimojiさんとこのコメント欄(keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。)にも書きましたが、いろんな子がいるんだから、最低限、書かれていることを標準的な子供たちの能力で過不足なく理解可能な記述にしておくことが望まれます。思考や視点の選択肢を、できるだけ多く。それが肝心なことじゃないのでしょうか。それに私はそもそも、左派流の史学の観点から書かれた教科書があったらいかんとすら考えません。左派流でも右派流でも、それはそれでいいんです。問題は中味の精度。誤解させるような乱暴な記述ではいかん、ということです。そして、「記述の過剰によって誤解される恐れ」と「記述の不足によって誤解される恐れ」とでは違うのです。不足は補えば足ります。しかし過剰なものは?


 「教科書にこう書いてあるけど、これはちょっと実態と違って」と言わねばならないのと、「教科書にはこれしか書いてないけど、詳しく言えば…」と言うのとを比べてみてください。前者の場合、教科書に書いてあることを先生がいったん否定もしくは疑義をさしはさまなくてはいけなくなる。子供にしてみれば、「教科書に書いてあるのに…どっちが正しいの?」という不審な気持ちが(教科書か先生かどちらかに)生じることになる。後者は教科書に書いてあることに補うだけだから、その心配はない。


 教科書に書いてあることだけ棒読みする先生は、この場合は関係ないんですね。でも、組合の先生だけ有利な記述だったらおかしいでしょう。それが「偏向」といわれる状態なのです。組合の先生でもそうでない先生でも、補いたい先生は補える記述であれば、ひとまずはよろしいんじゃないでしょうか。「これは先生の考えだけど…」と。


 さて、以上を踏まえて、たんおさんの懸念に添って具体的な私見を述べてみます。そしてウヨサヨの話からも離れます。たんおさんはここで記述の「情報量」の不足を心配されているんだろうけど、情報量の不足は補える。それに、先生の属人性の問題でもないと考えます。


 というのも、中等教育で一応の経緯は既に習っているということがひとつ。もう一つは、世界史が必修科目だということ。不足を補うものとして「中学で既に習っていること」と「高校で必ず世界史を習うこと」で補える。つまり、中学の歴史と高校の世界史と日本史、都合三つの歴史科目によって補えます。学校の授業における教科書以外の情報がその先生だけに限られるのであれば、確かにその先生の属人性に頼るところが大きくなってしまうという、たんおさんの懸念もわからないではないです。が、中学の歴史教科書と先生による+α、高校の世界史教科書と先生による+α、授業だけに限定しても、一応これだけありますね。「え?世界史の教科書に沖縄戦のことは出ないでしょ?」と思われるでしょうが、理由は後で述べます。


 「日本軍によって集団自決に追い込まれた」という記述では日本軍が直接的な主犯のような誤解をさせるけれど、ただ「日本軍によって」を削って単に「集団自決に追い込まれた」とした場合、「アメリカ軍によって追い込まれた」とだけしか思わない恐れがあるのではないか…そのように、たんおさんは心配される。


 「追い込まれた」という以上、追い込んだ存在があるはずですよね。しかし何が追い込んだのか、何に追い込まれたのか。そこの記述が無いじゃないかと、たんおさんは心配される。確かに、省略しすぎですが、その「何」のところに「日本軍」と入れればいいかというと、そうではない。ある集団を入れたいのであれば、そこに一番に該当するのは「アメリカ軍」なんですから。では、「アメリカ軍が追い込んだ」で終り…じゃないですよね、たんおさんの言われるとおりです。


 ここで世界史のスケールで考えてみましょう。似たような戦況であった後のヴェトナムでは、集団自決のようなことはなかったわけです。ここにはひとつ死生観の違いも挙げられる。「敗れなば辱めを受けず潔く死なむ」の日本と違い「敗れて生き恥をさらしても泥をすすってでも生き延びて、いつの日にか雪辱せむ」というヴェトナム。沖縄で、ここはもう集団自決せねばならぬという心理状態に追い込んだのは、直接的にはその場の惨状であるけれども、それ以前の教育その他もあいまってのことです。また、その場の日本軍の指揮系統の崩壊による、さらなる絶望的な心理状態もあるでしょう。ではそれだけか。戦況や精神文化や戦時教育だけが原因か。ものすごい死者をヴェトナムでは出してますが、元エントリのコメント欄でのnoraneko7さん宛てのレス(「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984)にも書いたように、長期の泥沼のゲリラ戦に引きずり込んで「本土決戦」に勝利している*1


 なぜかといえば、大陸部の国であって、人々に逃げ場があること、中ソなど味方の国からの武器支援が陸伝いにあったこと。逃げ場も味方も武器も失われていない。だから希望がある。希望があるから死を選ばない。米軍の苛烈な猛攻をジャングルの中で、網の目のような地下壕の中で、逃げ隠れしながら何度も建て直し、木陰から闇から米兵を狙撃し続けて遂には消耗させきってしまう。第2次大戦と同様の「自由主義・民主主義を守る」という戦いであったはずの米国民に、「いや、これはもう不義の戦争である」と認識させることにも成功した。


 しかし孤島の沖縄では、こうした戦い方は続けられなかった。そして当時の日本は、味方を選んだり増やしたりすることに失敗したうえ、敵国の人々に「もう、やめたい」と思わせられなかった。そういうマクロな理由も、追い込まれた理由に挙げられるでしょう*2


 …といったようなことを、主語のない「追い込まれた」という省略された記述からは、広げてゆくこともできます。しかし「日本軍に追い込まれた」では決め付けがすぎて発展性がない。それでは「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのです。

*1:沖縄戦および後に想定されていた本土決戦を非難する左翼が、ヴェトナムの勝利を称えたのは面白いですね。共産主義が勝利する分には泥沼のゲリラ戦に持ち込んでも歓迎だったのか。それとも、戦後の左翼は戦前の右翼のメンタリティを色濃く残していることが少なからずあるので、実は見果てぬ「本土決戦でアメリカを撃退する日本」をヴェトナムに投影して快哉を叫んだのか。

*2:このように考えると日本が本土決戦を選択していたらどうなったろうか…といったようなことも脳裏をよぎります。昭和天皇が本土決戦を選択しなかったことは正しかったと私は思っていますが。