右往左往する話(その3)

 hazama-hazamaさん(以下、ハザマさんと表記)から、拙稿にからめてトラックバックをいただいたhttp://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20070121#p1。私の書いたことをふまえつつ、それとは別にご自身が考えていることをお書きなったとのこと、その後も連載?が続いていて、「2」にいたって本格的になり、大変興味深く読んでいる。そこで、私もまた、ハザマさんの文にインスパイアされて、別に思ったことを書いてみたい。そこでここでは導入部に当たる「1」で投げかけられたことに触発されて思ったことを書くこととする。

「よき日本」という「伝統」などと言うものは近代に「創造」されたものだということはアカデミズムの上では最早常識である。しかし、なぜそれが世間一般で言うところの常識とならないのか。簡単だ。それは一般的には「都合が悪い」のだ。無条件に「伝統」に立脚してしまうのは楽だ。


 これについて私見を述べたい。私は別々の二つのことを考えている。それは「伝統」という言葉の語感、および捉え方と深くかかわることである。一つ目は「伝統」の連続面と不連続面、二つ目は「伝統」と「習慣」の異同についてである。ハザマさんの上記の前半に関することと、後半に関することと、それぞれ対応していると考えるので、ご参考になればと思う。


1.「伝統」の連続面と不連続面。
 史学を愉しむことと、物語を愉しむこととを、ハザマさんはクッキリわけている(1月2日づけエントリ『歴史と個人』の中段あたりを参照。当該部分に私はいたく同感だった)。両方を愉しみつつ戒めも己に課す人だから、クッキリとわける。私は後者も好きだが、どちらかと言えば前者に偏っている。私もなるべくクッキリわけている(ときどきあやしくなるが)。こういう人は、それほど多くはないようだ。前者は愉しめないので後者をもっぱら愉しむ人のほうが多いようである。この人たちも、時代による大きな違いがあることは、それこそ常識として知っている。ただし違いがあることを知ってはいるが、具体的にどう違うかは、生々しくイメージするほどにはよく知らない。そうすると、ポンとそこへ「これこれが日本の伝統」という観念を出されると、「おお、それが変わらずにあるものなのか」と思いやすいのかもしれない。あるいは逆に、ただ知識としてだけ「時代によって違うのだ」と理屈だけで丸覚えしかしていない人は、「ふん、伝統なんてないんだよ」とも思いやすいのかもしれない。

 
 ちょうど格好の題材として「武士道」を考えてみよう。これに時代を超えた一貫性を見い出すことに重きを置く人と、時代ごとの変遷を見て取ることに重きを置く人とは、ときに全く異なる見解を持つことがある。事実から言えば、そのどちらもあると言えるのだが、ややもすると平板で極端な意見が出てくることがある。ちょうどいい例があるので挙げてみよう。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_tree?base=34185&range=1
これは『問答有用』で行われた議論(?)で、とほほさんが集中的に論駁されている形になっている。このとき彼の相手をしているのは、私(芥屋)と告天子さんを除くと他はみな左派である。また、実はとほほさん以外の誰もが「かといって、何も変わらぬ武士道がいつの時代にもあった」とは思っていない点で一致しており、みなそれぞれの観点からそれに触れている。ハザマさんから見ても、とほほさんのこの意見に対しては「明治に創造されたところの新しい武士道とは言っても、そういう意味ではないんだが」という感想を持つことと思う。


 その点で、ハザマさんが言われるような「なぜそれが世間一般で言うところの常識とならないのか」ということを、私も考えている。ひとつには、近代日本で国民国家を形成する際の「伝統」観や、戦時体制期のそれに対する、史学的な検証や批判というものがあるのだが、あまりに否定ばかりになった面や性急に過ぎた面があったと思う。また、「科学的歴史学」を僭称する階級闘争史観が史学界を席巻した影響も大きかった。仮に、近代以降に唱えられた「伝統」について否定することに重きを置く立場に立ったとして、しかしそこで否定できるのは「その時代に唱えられた伝統への考え方」でこそあれ、対象となる伝統そのものが無いこととは話は別のはずだったのだが。この「伝統」という言葉と近代の問題は、これとはまた全く別の観点から考えている違和感があるので、それは明日にでもアップしようかと思う。


 その混同が史学界に横行していたことが今でも払拭されたかといえば、やや怪しいところが残っている。ただしそれでも、上で引用したように、ある「伝統」について事実判断が左右で相容れないというのではなくなりつつあるのではないか(その題材によっては価値判断が二分されることはあるだろうが)。たとえば宮崎駿作品にも影響を与えた網野善彦の史学について言えば、個別具体に賛否はあるにしても左右の別なく高い評価を受けていると思う。彼が反天皇制論者であったり単一文化観を激しく批判したことをもって、直情的に網野史学を嫌う人も見ないではない。が、階級闘争史観を脱した新たな左派流の史学、その先駆者の一人であることに揺るぎはないであろう。


 これとは別に、思想的なことではなく、もっと根本的なことがあると思う。おそらく、実証的に歴史に接することを好む人は、たとえフィクションの娯楽物についても、時代考証のしっかりしたものを求める。ときに異国の異文化の趣すら感じられるものを自国の歴史の中に見るときにも、それこそが面白いと思う傾向があるからだろう。四苦八苦しながらその時代のひと独特なものに迫ってゆくことに魅せられる。ところがそうでない人のほうが多いのかもしれない。あまりに厳密な時代考証は好まれない。最近は小道具や風景などについては正確な復元が好評を博すようにもなってきているけれど、登場人物は現代的であるほうが好まれるように思う。


 これはどうも、昔からそうであるようだ。たとえば室町時代に書かれた神社の縁起譚が、古代の話であるはずなのに文体といい人物の服装を含めた描写といい、まるで平家物語か何かの軍記物を読んでいるかのような気にさせられることがある。『保元物語』に見る鎮西八郎為朝はいかにも鎌倉時代前夜の武人らしく思われるのに、滝沢馬琴の描く鎮西八郎為朝はまるで江戸の芝居で歌舞伎役者の演ずるそれのようだ。司馬遼太郎が描く維新の群像はまるでその時代の人らしくなく、やることなすことすっかり現代っ子だ。いつの時代も、現代人による現代劇のような小説やドラマを通して人は歴史に接することを好む傾向があるようだ。


 おそらく…登場人物の振舞い方や考え方など、あまり異質なものが頻繁に出てくると感情移入しにくいからではないか。およそ小説でもドラマでも映画でも漫画でも、作中の人物の誰も彼もに意味不明な言動が多いと白けてしまって当然だ。何でそこでそういう振る舞いをするのか、何でそんなことを考えるのか、とんとわからないと、お話にスッと入っていけないことが、好まれない理由になるのかもしれない。これはひとことで言うと、史学に限らずおよそ学問全般に言えることではないだろうか。たとえば「科学的に考えるとはどういうことか」ということより、「科学的な感じのするもの」のほうが好まれる。きちんと統計学的な考察を行ったものより、恣意的な設問でチョイと世論調査などして「統計ではこうですよ!」みたいなもののほうが、とっつきやすい。それと共通するものはあると思う。


 …しかし、だ。そう考えてみれば確かに共通するものはあるのだが、科学や統計などのリテラシーにおいてはまさしく「それじゃぁ、ダメなんだよ」と明快に言えるのだけれど、こと歴史においては、そうも言い切れない。というか、そんなこと言い切っちゃったらダメだ。というあたりのことをハザマさんは既に書いているわけで、同じこと書いちゃったなぁ。


2.「伝統」と「習慣」の異同
 これは小林秀雄の受け売りなのだが、いわく、伝統と習慣とを混同するからおかしくなるんだ、ということ。…で、それを引用しようと思ったが、眠くてたまらなくなったので、これはまた次回に。


*以下、他の部分から雑感(こちらを先に書きました。眠りながら書いたわけじゃありません)。

「私は正しき伝統に立脚しているからこそ、グロテスクな悪の近代主義者は攻撃してくるのだ」と。そうなると「伝統=誇り」に合わせて歴史を「創造」するようになる。「南京事件はなかった」「従軍慰安婦などいなかった」「満州国は正当だ」などなど。これは、保守が大嫌いな中国が歴史的に見てお得意だったことだ。


 これは正直、よくわからなかった。以下、箇条書きにすると、


1.この部分で、急に「保守言説」が極度にせばめられたように見える。これはたとえば産経系の言説にはあるだろう。しかしたとえば読売系の言説も代表的な保守言説であるが、このような言説は皆無であろう。ここでは一応、わかりやすく全国紙から二つ挙げたまでだが。


2.あるいはハザマさんとしては「南京は無血開城であった」「慰安所はあったが軍の関知せぬことであった」という非常に極端な説のみを指しているのだろうか。


3.極論を例に挙げただけであって、もう少し幅広くとっていいものとする。そうすると、伝統主義者による反近代主義というものと、これらの相関に深い因果関係があるとの見方がよく理解できなかった。私が見るところ、それらの言説は主に反共リベラルから出ているように思える。


4.「つくる会」系の人たちが典型であったが、指導者は、もともと左翼であったが転向したという人たちが多く見られる。その世代には多いことだろう。「左翼の史観に騙されていたことに気付いた」という語り口が多い。若い人で支持している人は「そうだったのか。自分もサヨク教育に騙されていたんだな」という感じで支持する傾向が強いように思う。この人たちは反サヨクであっても伝統主義者ではなく近代主義者であることが多い。「サヨクやフェミこそ反動だ」「我々は断じて右翼ではない」という持論が彼らの心境をよく表している。


5.漢土伝来の大義名分論的な史観の影響と、現在の反中感情のもつれは、これとは別に論じたほうが良さそうだ。もちろん錯綜して混ざってはいるのだが、保守論壇に限る現象ではないと思う(「大日本帝国は悪なので、戦後民主主義は善だ」のように)。


 ひとつ実例を挙げてみる。
http://otd5.jbbs.livedoor.jp/tani6010/bbs_tree?range=4&base=581
これは『フェミナチを監視する掲示板』に投稿されたものを別の人が転載したもの。神名龍子さんという人は、ゴリゴリの近代主義リベラルであり、右翼も左翼も大嫌いであり、「保守」とも一線を引いている人である。見る人によって、この意見に賛否はあるだろうが、賛否はここでは言及しない。ひとまずここでの観点としては、この意見が伝統主義による反近代思想から導出されているのではなく、逆に近代主義の立場から、いわば保守的な左翼の正義への批判として述べられている(少なくとも筆者はそのつもりで書いている)点に留意してほしいと思う。そしてこうした意見は、実は、そんなに特異かつ少数な意見ではなくなってきていると私は見ている。つまりそこには、「身内の恥」という意識は無い。「日本人の誇りを傷つけるから隠したい」という意識も無いのである。

では、サヨクの側にとって「都合の悪いこと」とは何か。それは「サヨクであればあるほど保守に勝てない」という「歴史的必然」である。勝つには新たに「権威」を構築しなければならないのだが、そうすると「サヨク」ではなくなってしまうというジレンマをサヨクは根本的に抱えている。


 これは、わかるように思う。ただしこれはアナキズムではなかろうか。ハザマさんがアナキストだというのではないのだが。アナキズムというと「無政府主義」と訳出されていることが多いが、語義に忠実に訳せば「無権威主義」となろう。歴史上の固有名詞としてのアナキズムは主に左翼に位置するのであろうが(ここら辺はあまりよく知らずに書いているので不正確なことをご容赦)、たとえばロシアのアナキストが革命後にボリシェヴィキから殲滅されたように、アナキズムが抱える困難さと言えるのではないだろうか。


 ひるがえって我が国の現在のサヨクについて言えば、はたしてハザマさんのいう「ジレンマ」を実感として、広くサヨクが抱えているかと言えば、どうなんだろう。あまりそうしたことはないように私は見ているのだが、当然なのではないかと思う。それと言うのも、こうなるとちゃんと左右の定義をしたほうがいいかもしれないのだが実勢にしたがうとして、左翼イコール革命思想の時代がながく続いたことも大きな要因だと思う。革命運動は連帯をめざし、その運動のための世界説明、運動の御用学たる統一理論を構築していた。大規模な大衆動員も必須だった。そのための「誰もが自己流に解釈可能な標語」も欠かせない。そして当然に、カリスマとしての人的・精神的な権威は欠かせなかった。


 そうしたことは今でも大なり小なり「持続する気分」としてサヨクに残っているんじゃないかと思う。また、仮に脱マルクス主義として左派をとらえなおしても、無権威主義は必ずしも左派を定義づける条件ではないだろう。国家主義全体主義は右からも左からも出てくることを考えてもいいし、そこまで極端でなくても、いわゆる「大きな政府」を志望するリベラル左派、ということを考えてもいいだろう。「権威主義vs無権威主義」というのは、「保革」とか「左右」とは別の対立軸なのではないか。*1


 そこでアナキズムはさておき、いわゆる戦後民主主義の推進者にして防衛者としての左派を考える。日本国憲法による体制の護持者、「憲法違反」とみなした者への戦闘者、いわゆる55年体制を常に議会内野党の立場から支えてきた勢力としての左派である。ここに明らかように左派もまた体制側なのであり、権力志向であり、戦闘者なのだ。これは皮肉なのではなく、だからして悪だというのでもない。ところが、体制側であるのに反体制を標榜し、権力志向であるのに反権力を謳い、戦闘者であるのに絶対不戦を掲げる。したがって、サヨクにとっての「都合の悪さ」とは、それを指摘されることにほかならない。だから、何度それを指摘されても無視して「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿主義を決め込んできたのである。これは他者を欺くというより、自己を欺くことであったと私は思う。


 今日のサヨクには、自壊といっていい凋落がある。それをもたらしたのは、保守回帰をもたらしたのは、右派の勝利なのではなく、左派の自滅と言ったほうがいいのではないかと私は見ている。もっとも、右の私とて、このまま左が終焉を迎えるとは思っていないし、左には左でしっかりしてもらわねば困るという気持ちがある。それに戦後史を振り返って、私は革命運動としての左翼は評価していないが、労働問題や公害問題などでの左翼の社会貢献は素晴らしかったと思っている。保守が真ん中の常識と実用と正論だとすれば、左右は先鋭化した批評精神なのだ。たぶん、左派は時間をかけて立て直してゆくはずだから、今は膿を出すときなんだろうと思っている。

*1:私の畏敬してやまない葦津珍彦は、若き日に傾倒したアナキズムを最晩年にいたっても「美しい詩」と言っている。三島由紀夫は「尊皇をつきつめるとアナキズムになる」と言っている。私にも思い当たるものは多い。妙なたとえかもしれないが、アナキズム虚数iのようなものかもしれない。実数ではないのだ。しかしある種の方程式の解としては、たとえ観念上のことであっても虚数iを想念する必要があるのに似ている。マイナス×マイナス=マイナスとなる値、すなわち虚数iとしてのアナキズムである。ただしアナキストその人も実世界における実人生がある。当然に、虚数の解をもって正答であるはずの方程式でも「解無し」とする実数の法則に従って進めていかなくてはいけないことも多々ある。ハザマさんも意識してそうされているようだ。ただハザマさんはご自分のそれを自嘲気味に諧謔的に言い、私自身も多分に共感もするけれど、さほどに自己矛盾のごとく考えるべきことだとは思わない。