差蔑ではない差別(その2)

 「差別」の語には「ある人がある人たちに偏見をもって蔑むこと」と「あるひとたちが世の中の仕組みの中で不公平な立場におかれていること」の二通りの用法があること、その二種類の用法から生じる齟齬について差蔑ではない差別 - Backlash to 1984で先述した。これについてブクマに寄せられたコメントをもとに、引き続き述べたい。


以下のやりとりをデフォルトとします。
A「それこそ差別だ!」
B「差別していない!」
A「差別する人ほど差別していないと強弁する!」
B「そういう決め付けこそ差別じゃないか!」


 …お互い何を言い争っているか、ここでホンヤクコンニャクを出します。


(1)双方が、「差別」に該当者個人の蔑視や偏見を見て取る場合
A「それこそ人を見下した言い方だ!偏見だ!」
B「わたしはあなたを見下してないし偏見なんか持ってない!」
A「偏見で蔑んでいる人ほどそれを隠して言い張る!」
B「そういう決め付けこそ人を見下した言い方じゃないか!」


(2)双方が、「差別」に世の中の仕組みの不公平を見て取る場合
A「それこそ世の中の不公平さに寄りかかった言い方だ!」
B「どこが不公平なのだ!公平にものを言っている!」
A「不公平に目をつぶる人ほど公平さを装った言い方をする!」
B「そういう決め付けこそ世の中の不公平を助長するんじゃないか!」


 …という意味でお互い言っているので、いちおう、噛み合っています。ところが齟齬が生じがちなのは、


(3)「差別」にAさんは該当者の蔑視や偏見を、Bさんは世の中の不公平を重く見ている場合
A「それこそ差別だ!」
(「それこそ人を見下した言い方だ!偏見だ!」と言っているつもり)
B「差別していない!」
(B「どこが不公平なのだ!公平にものを言っている!」と言っているつもり)
A「差別する人ほど差別していないと強弁する!」
(「偏見で蔑んでいる人ほどそれを隠して言い張る!」と言っているつもり)
B「そういう決め付けこそ差別じゃないか!」
(「どこが不公平なのかも言わずに決め付けることでは世の中の不公平を助長するじゃないか!」と言っているつもり)


(4)「差別」にAさんは世の中の仕組みの不公平を、Bさんは該当者個人の蔑視や偏見を重く見ている場合
A「それこそ差別だ!」
(「それこそ世の中の不公平さに寄りかかった言い方だ!」と言っているつもり)
B「差別していない!」
(「わたしはあなたを見下してないし偏見なんか持ってない!」と言っているつもり)
A「差別する人ほど差別していないと強弁する!」
(「不公平に目をつぶる人ほど公平さを装った言い方をする!」と言っているつもり)
B「そういう決め付けこそ差別じゃないか!」
(「そういう決め付けこそ人を見下した言い方じゃないか!」と言っているつもり)


 …(3)(4)ともに、相手が用いている「差別」の語が自分の用いているものとは意味が異なっていることに気付かないまま齟齬をきたしています。このようなとき、ともすれば相手をバカだと思ってしまう。このごろだと「これぞバカの壁」だとか。でも、こういうケースではどちらがバカということではないです。どういうケースかというと、「その言葉そのものに二重の意味があってどちらも用いられている(ことに気付かない人も多い)」ケースです。

「Bは差別思想を持っている」と、Aが邪推している構図か。
(rajendraさん)

おっしゃっているのは(3)のAさんに該当すると思います。

わかんない。職業とか出身とか男女とか、そういうものに対して差別っていうときに暗黙的に「いわれの無い」がくっついているだけじゃないの?でそこに蔑視があるかが問題なわけで。言葉だけの問題ならもめないよ。
(NOV1975さん)

おっしゃっているのは(4)のBさんに該当すると思います。蔑視のともわない差別があるかと言えばないかもしれませんが、今ここで述べているのは「その人自身はその差別に伴う蔑視は内面化していないんだけども…」というケースです。


■実例に近いものを、ここのところ界隈で沸き起こった論争から2つ選びます■
(その1)売春婦論争
売春者への蔑視発言をめぐる議論(2) - *minx* [macska dot org in exile]
↑これが、やや(3)に近い。
 ここでyukiさんが3Aさんに当たります。ここでmacskaさんは「それは充分にわかるけど」ということで3Bさんに当たる視点で述べています。
http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070318/1174182696
↑これが、やや(4)に近い。
 ここでaozora21さんが4Bさんに当たります。ここでyukiさんが言わんとしているのが、おおむね4Aさんに当たります。
(註)ただし、そっくり当てはまるというわけではありません。


(その2)障害者論争
北沢かえるの働けば自由になる日記
↑この場合、「差別!差別!」とわめいた先方のお母さんがAさんに当たり、北沢かえるさんがBさんに当たります。ただし先方のお母さんが何故に「差別だ」と言ったのか不明ですし、かえるさんも(3)と(4)どちらのBさんに当たるのかわかりません。「見下してもいないし、世の中の仕組みの中で公平であるべきだと思うからこそ」というような感じがあります。先方のお母さんが「わたしたちがあなたに侮辱された」と感じて「差別だ」と言ったのであれば(3)に、「あなたに侮辱されたとは思わないが、こんなことしか言い返せない展開になる世の中は不公平だ」と言いたかったのが「差別差別…」の真意なら(4)に近いように思います。


http://d.hatena.ne.jp/i_orita/20070225
↑この場合、やや代弁的に折田さんがAさんに、私やサトミさんがBさんに当たります。

まず、障碍者差別はあったという問題。北沢さんは、口論の中で、明らかな障碍者差別発言をしている。

「(ひとことの詫びもなく怒るなと言うんなら)障害者とわかるように書いておけよ」
「(それ言われたら差別だ差別だわめくけど)だったら見張っておけよ」


 ところが事実から言えば、この記事を読んだ障碍者サイドからの意見としては、私の管見のおよぶ範囲では、この発言だけ切り取って「差別だ!」という意見は無いのでした。なぜかと言うと、実はかえるさんのこの言葉にこそヒントがあります。「パッと見た目にはわからないがとりあえず何らか発達障碍がある」ということを見知らぬ人にそれとなく察知してもらう手段として、そして子を連れて外出中に常に見張っておくなど無理なので、「愛のワッペン」というものがあります(http://homepage2.nifty.com/st-gaku/sakusaku/5_1.htm)。この種のトラブルの防止用として、使っている親御さんには割と好評のようです(http://blog.zaq.ne.jp/wakuwaku110109/article/191/)。


 もちろん、このワッペンをつけなきゃいかんという話でもない。かえるさんのは(ご本人にそのつもりはなかったかもしれませんが)「ひとことのお詫びもなしで、そんなに怒るな怒るなと言うくらいなら、はじめから障害者ワッペンつけててよ。そしたらこっちもはじめから気をつけてるからさ」みたいな言葉なんですよ。これはこれでキツイですね。しかも、喧嘩になっちゃった中での売り言葉に買い言葉で、同じことでも更にひどい言い方になっちゃったと、でもそれはまた別の話。だけど、「障碍者とわかるようなものをつけておいてくれたら、私だってこんなに怒んなかったよ」というのが主旨ですから、それ自体は差別発言ではありません。


 で、私やサトミさんが言ってたのは、とりあえずこのような説明をするのでもなんでも、我が子に非があったんだから詫びてからだよ、ということです。非も落ち度もあって、障碍者や保護者なら詫びぬとも良いなんて道理はありません。まして、このような説明をして理解を求めたり、ときには説得したり、議論の土俵にあがることを不公平だとは思いませんから。それは当事者サイドがまずやらなきゃ誰がやる、ということです。


 さてここまで来ると、次のことにも触れねばなりません。yukiさんの話と北沢さんの話の大きな違いについてです。娼婦の賤視・醜業視は今でもあるし社会的地位の極度の低さは(ある意味で江戸時代より更に)あるわけでしょう、ですからそこへ投げかけられた「卑しい!」という侮辱の言葉は、まさしく差別なわけですよ。だってある人が、たとえば銀行員に対して「この金貸しが!卑しい!さもしい!一流大手の銀行員だろうが、誰が何と言おうが、金貸しは蔑む!」と言えば、それはひどい侮辱なんですけども、銀行員の社会的地位は低くないわけです。その人は世の中で眉をひそめられる暴言を吐いたことにもなりかねないわけで。


 したがって、娼婦への卑しみを言い放つというのは、ただ卑しんだから侮辱したからということではなくて、ある人々の社会的地位の低さと蔑視が一体になっているケースですね。この場合は、銀行員の例と異なり、暴言を吐いた人は世の中の後ろ盾があって暴言を吐ける、好きなだけ侮辱できる、だからこれを差別と言わずして何が差別かと、そういうことです。これでyukiさんに対して相応の言葉遣いを守れというのは、公平さを装った不公平、マナー正しきアンフェアというものです。


 aozora21さんはそこのところがいまひとつ見えてないように感じます。macskaさんはそれをわかって踏まえたうえで、あのように「社会的な議論を降りてもいいけど、社会的議論の阻害行為にしかならないことは控えていただきたい」とyukiさんに言っているのですね。ここんとこが、aozora21さんとmacskaさんで前提条件が大きく異なっているように見えました。arisiaさんの、ひとりの主婦としての、娼婦および客となる男への卑しみ憎しみは、これ自体はとやかくは言えません。だけど売春婦の地位の社会変革を求める公的な意見に対して私的な賤視と憎悪をぶつけてしまった、その後の話です。


 卑しむ言葉を口にするな、口にしただけで差別だぞ…ではないんです。卑しいとおもったから言うんだと、そこまではまぁいいのですが、でもそう言ってしまえる世の中での有利さというものがあるじゃないですか、ということですね。発言者と支持者は現在の公的な認識そのままに暴言を吐ける、だけど暴言に暴言で返した側が喧嘩両成敗を喰らって終りだとか、かえって言葉遣いの荒さを責められるとすれば…? 真綿で首を絞めるように慇懃無礼な言葉で賤視された人々を追い込むことなど造作も無くできることになりますでしょう?。娼婦について私に言えるのはここまで、あと具体的なことはmacskaさんにまかせます(餅は餅屋!)。


 対して自閉症その他ADHDでも何でも、そうだということで賤視されるなんてことはないわけです。無理解や偏見などを指摘したり世の中での教育環境の改革を求めるとかいろいろあるんですが、そこへ投げかけられた「蹴り倒して泣かせて詫びもしないでそこまで言うんなら、わかるように書いておくか見張ってろよ」というのはですね、侮辱じゃないです。


 ただし、差別かどうかという本題からズレますが最後に。かえるさんが差別的なことを言ったわけではないけど、「ただの喧嘩じゃん、かえるさんが勝っただけのこと」という意見に「それは違いますよ〜」と私が「怒らないとわからない」と彼女は言った - Backlash to 1984で書いたのは、例の増田17歳(♀)の投稿にはじまった障害者論争の中で、かえるさんの話が新たな偏見を生むような流れになるとすれば、困るからですね、それ自体は差別ではないけど差別につながりかねないので。ある自閉症児のお父さんのご意見を付記しておきます。
彼に分からないのは : こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか


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