不義理

勢ひ罵り合ひになって、
しかし真に罵っているのは自分だけで、
声を荒げて罵らずにをれないのが真実のことで、
相手は感情が昂ぶってもそれなりに余裕があって、
その余裕がまた癇に障り更に罵って、
ひとはみな余裕のある方を向き、
余裕の無い罵倒を憐れみ蔑み、
遠巻きに見て同情を投げかけ、
あるいは近寄って説教をし、


ますます自分があはれにみじめになって、
それでも立場など考へまして背負ふものなど考へてしまい、
使命感なぞ出てきて引っ込みつかずやめられなくなって、


背負へるほど足腰きたへてあるじゃなし、
地に足着かぬでそういふ喧嘩は買ふべきじゃなしに、
反吐はきながら買わずにをれないときもあり。


そのみじめな喧嘩で世の中変はるでなし、
でも、その見る人に届くものがないでなし、
それを望むなら気の済むまでやるしかないのかな。


いつの日にかの我が身を想ひつつ、
所詮は行きずり目にした喧嘩を見るばかり、
やめとけなどと言へた義理も無し。


されど願はくば、
仇は討てぬが骨は拾ひたし。