憂国のつぶやき(小熊英二氏が語る)Ⅲ

 ネット検索してて、あぁ、俺はやっぱりこれは言っとかなきゃなぁ、と思っちゃったので、書く。最終回。さらにぞんざいな口調になるが、これはこの文体でなくちゃ書けないことがあるから。読者各位、ご容赦。

せいぜいできるのは、今の学校の国旗・国歌みたいに、形だけ従わせることだろう。町内会への出席を義務づけるとか、祝日に国旗を掲げていない家は家庭教育が悪いとして町内会から厳重注意させるとか、そういうことは可能かもしれない。しかし、そういう行為は、本当に愛国心の育成になるのだろうか。例えば、文科省教育委員会から「来年から黒旗を揚げろ」と指令が来たとしよう。今の校長のうち、たとえ処分されても信念として日の丸を揚げる、という人はほぼゼロだろう。彼らの多くは、命令に形だけ従って保身しているだけではないか。


 ここね、過去二回では触れなかった。何で触れなかったかというと、「もういいだろ、そういうのは」というのがあったからなんだよ。それより小熊さんの問題意識にこそ添いたい、というのがあるからね。誰だって「言い過ぎた」ってことはある。物書きでもさ、ついつい「筆の勢いで…」というのがあるだろうね、素人だけじゃなくて玄人にもあるだろう、ことに学者さんが書斎で一冊の本のために書くときと、新聞や雑誌に寄稿するときとでは、がぜん違ってくるのも知ってる。一冊の本を書くときは、おそらくプロの物書きは俺ら素人とは違って、ほんとに自分の中の最良のものをえぐり出して、自分の中の余計なよこしまなものは取り除いて書くものだろうと思うんだよ。だから、上記のようなとこには突っ込みたくないと俺は思ったわけ。


 でもさ、検索してみると、一部の人だろうけど、上記の部分に「そうだそうだ」的な反応があるのを知った。また、誰も突っ込んでないのも知った。そうすると、やっぱり言っておこうか、と思った。ごめんな、こういうどうでもいい悪罵の部分は、聞き捨てておけばいいのはわかってきたんだけど、やっぱ捨て置いて良いわけではないようだから。小熊さんその人が俺のこれを読むとは思ってないよ、小熊さんの読者に向けて書くわけだが、過去二回のとおり、勝手に小熊さん宛てに書くからね。ご自分の文責だと思って勘弁してくれたまえ。


 あのな、いまの校長先生と言うのは、ほとんど現場上がりだろ。おおよその年頃を考えてみなよ。戦後教育を受けて、それを大切に思い教職を目指して教員になって、現場で叩き上げた人たちばっかりだろ。管理職になる前は日教組に入ってた人だって、少なくはないんじゃないかな。日教組に入ってなくたって、戦後民主主義の国是を非常に大事に思ってる人が多いだろうよ。そんな当たり前のことが、小熊さん、あんたには見えてないのかね。


 日の丸君が代をどう思ってるか…それは校長先生によって千差万別だろうという想像くらい働かないか? 国文科出身で古典に明るくて、もとより親和的な人もいるかもしれん。政治学科出身とかで、非常に嫌悪感が強い人もいるかもしれん。言い出したらキリがないと思うが如何。あえて乱暴に類型化するが、

1. もとから日の丸君が代が好き。
2. もとからどうでもいい。
3. もとは嫌っていたが好きになった。
4. 好きになったが嫌う人の気持ちも大事にしたい。
5. 好きにはなれないが生徒を巻き込む反対運動には頷けない。
6. 好き嫌いと式典などの表敬儀礼は別だ。
7. 何とかして現場と教委の橋渡しになれないか。
8. 何でもいいが、自分の任地・任期で大騒ぎにならない方法はないか。

…まぁ、書き出すのも疲れるほどいろいろありそうなんだが、そういう想像力は、小熊さんにはないのかね。ないとは言わさんよ、あれほど豊かな内容の本を書いておいて。俺が何が言いたいかわかるかね?君自身の問題意識に添って言っているんだ。


小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語る(下)

 全共闘新左翼のマイナス点の一つは、やはり年長者を切ったことだと思う。あれをある種のカウンターカルチャー的な運動だったとみなせば、年長者と決別したことで文化的に面白いものが出てきたという評価もありうると思います。しかし一方で、思想面や運動面では、実りの少ないものになってしまったのではないか。


 現場の校長先生にも、いろんな人がいるだろうよ。ことなかれ主義の中間管理職もいるだろうけど、それを大学の先生という君の立場と比べて何をどう言えるのか、もう少し言葉を選んだほうがいい。ましてや、君が上に書いた部分とそれに続く意見のことを、それこそ自身の学生運動の頃から、君に言われなくたってずっと考え続けてきて、今は校長職にいる人も少なからずいるであろうことも考えてみたまえ。君よりずっと年配の、君なんかよりずっと現場の困難さに真摯に向き合って擦り切れてしまっている立場の人のことも、小熊さん、あなたは考えるべきだ。俺もそんな現場にはいないし、君とさして年も変わらないが、そういうことは考える年齢になった。


 小熊さんが言うような校長先生もいるんじゃないかな、だから何だね。そういう人はどんな現場のどこにだっているだろうが、それが君の今回の問題提起と、そんなに深い関係があると思うのか? それはそれで深い主題だが、そういうのは「教育勅語を読み間違えたからといって鼻血が出るほど殴りつけていた、その先生が、今度は民主主義や自由主義がわかっていないと言って何かにつけて小突きあげた」式の、そういう文学的な主題だろう。校長か教員か、そういう職種で変わることだとは思えんが、君にはそう思えるのかね。しかし、君が言ってるのは、そういう主題ではないはずだ。政治の話だろ。


 黒旗を掲げよと言われたら日の丸ではなく黒旗を掲げる…か、小熊さん、そういう校長がいるとしてだ、その人がこの問題で自殺すると思うかね。国旗国歌問題では自殺者まで出したが、それの対応で国旗国歌法ができたわけだ。なぜかは知っているよね。ヒノキミ闘争の「日の丸君が代が国旗国歌であるという法律でもあるのか?ないだろうが!」という言い掛かりが、「あぁわかったよ、そんなに言うなら法律化してやる。どうだ、文句あるか?」ということになったわけだろ。現場で苦悩して自殺する校長が出て、そういうことになったわけじゃないか。苦悩して自殺したヒノキミ教員が一人でもいたか?


 それより君こそ、あの文章を寄稿するとき、保身に走ったんじゃないのか? 君は「なぜ反戦運動で日の丸を掲げることが想起されないのか」という大きな問題提起をしているね。これは俺も目が覚める想いだった。さすが小熊さんだ。だがしかし、君はそれが想起されないことに「イメージが貧しい」と言い切った。言って悪いことじゃないさ、言うべきことだ。でも誰だって、よって立つところがあって、君こそ言いにくい立場にあった。俺なんぞは「おお!そのとおり」なんて気楽に言えるが、しかしこれは君の立場から言えば思い切った発言だ。だがね、その代償に、校長先生を中傷して見せて、こきおろしたのは良くないよ。違うかね?