藪の中

 例の、身内によるバラバラ殺人事件ね。兄の妹殺しと、妻の夫殺し。こないだも職場で、休憩室で昼食中に、テレビでこの二つの事件を扱ってた。コメンテーターがいろいろ言う。それ観てたおっちゃんが「でも、死人に口無し、だよねぇ」と。俺もそう思う。こういう場合の犯人て、少しでも自分の同情を引きたくて、いろいろ言えるじゃん。でもさ、殺された人は、何にも抗弁できない。生きておれば「それは違う!」って言いたいことも、ほんとはいろいろあるんじゃないかな。それにいたる経過の二人の間に何があったのか、直前に何があったのか、事件の渦中はどうだったのか…でも家族による家の中での密室殺人だから、誰にも知りようのないところって多そうなんだけど。本人の供述の矛盾を突いて、警察の取調べで明らかになる部分もあるだろうけど、本人の言うことが嘘か本当かわからない部分だって、残るでしょ。


バラバラ殺人事件とコメンテーター - あび卯月☆ぶろぐ
 あび卯月さんの意見に、私は全く同意見*1。訳知り顔の解説が多いけど、ほんとに「見たんかよ?」というのが多いよ。だいたい、殺人事件に限らないって。たとえば、こういうのがある。佐賀で(銀行だったか役所だったか忘れたけど)、職場のカネを横領して逮捕された人がいた。最初この人は、「競馬に注ぎ込んでしまった」と供述したのでそのまま報道されていたんだけど、あとになって「そんなに競馬狂いとは思えないぞ?」という疑問が警察に浮かんできたらしい。それを問い詰めたら、実は風俗にはまってしまって歯止めがきかなくなり、サラ金から借金まみれになってたのが事実だったとか。でも「借金まみれになってまで風俗にのめりこんでたなんて、恥ずかしくてとても言えなかった」ということだった。でもこの供述が出た頃には、もう大きく報道で扱われることはなかったんだって。


 …この話、俺は競馬関係者の著書で読んだんだけど、それは「競馬のイメージが良くなったと言われますが、まだ実際にはこういうことがあるんですよ。風俗にはまってしまったというのは恥ずかしいからギャンブルにはまってしまったと嘘をつく。すると世間では、あぁ競馬はやっぱり恐いねぇ、となる。そういう目で、見られてしまう」ということだった。こういうのって、ありがちだろうな。そこで、事件の真相とかではなくて、世間のありがちな受け止め方ってものに批判の目が行くのも、わかる。そういう点で、次のエントリもおもしろかった。


http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070116/p1
 エントリの本文よりコメント欄の掛け合いがおもろい(しっかりオチがついてて)。

まあ男女入れ替えはちょっと浅はかな妄想だったですかね。これはこれで私のバイアスだと思っていただければ。

 そのバイアスをジェンダーバイアスと言うんだけど(苦笑)、妄想ってことではないな。俺はコメント欄のmariさんの意見に同じだけど、ひとからチョチョッって指摘されて「あ…」と気付くのは妄想とは言わんと思う。こういう「取り替へばや物語」ってのは、思考実験でしょ。観察対象の性別を入れ替えて思考してみる、すると「おや?」というのがあったりする。もちろん男女で正対称でなければいけないわけでもないんだけど、それにしても違和感があったりする場合もある。そういう思考実験ね。


 ただし思考実験ということは、被験体は自分の思考なんだよね、世間じゃない。だからこの種の「取り替へばや物語」で浮かぶのは自分の男女観なんだよ。世間の男女観が浮かぶわけじゃない。そこで感じた違和感…そこにジェンダーバイアスが浮かぶのに気づく…つまり、自分のバイアスに気付くための思考実験なんです。今回のkmizusawaさんの場合だと、よくある「同性に甘く異性に厳しい」「同性が悪く言われてると頭に来るので注目するが、異性のそれはあまり目に入らない」というバイアスがはっきり浮かんできてる。


 日本では「ジェンダー」というのを「女性への偏見」とか「女が悪く見られる」とか、そういうのと同義に使う人が多いよね。でもジェンダーって、そうじゃないから。個々人の男女観の形成に影響を与える、社会通念的な男女観のこと。だから「何だかさぁ、すぐに女が悪く見られるよね、すぐに女が責められるよね」っていう見方も、それ自体がジェンダーバイアスそのもの。女としては、ついついそう言いたくなるような経験も多いだろうけど、それは男も同様にそうなんだよ。立場が違っても同じようにそういうことはあるのに、異性の立場は見えにくい。ただ、じゃぁそれがすごく悪いかというと、どうかな。反対に「異性に甘く同性に厳しい」もよくあるわけだけどさ、どっちが良いとか悪いとかは、言えんと思う。異性受けはするだろうけどね、だから良い、とも言えないわけで。


 さて、話をあびさんのほうに戻す。今回の二つの事件のうち、妹殺しでは兄に同情的、夫殺しでは妻に同情的な声が多かった。ここへ来て、「おや?違うっぽいね」という観測が出てきたけど。当初はどちらも犯人の供述を聞いて、「そりゃぁひどいなぁ。だからって殺すのはいけないが、殺意を抱くのは無理もないかもなぁ」が多かった。なぜかと言えば、女が男に投げつける言葉として、男が女に投げつける言葉として、「それが事実なら、ひどすぎるよ」と誰もが思うからなんだよね。そこが恐いわけじゃん。ほんとにそうだったのかよ、と。頭に来たのが劣情につながって妹を犯そうとして拒否されて「親に言いつける」とか言われて逆上したのかもしれないじゃん。家のカネを浪費しまくってたとか不倫してたとかがバレて「裁判所に訴えて離婚する」とか言われて逆上したのかもしれないじゃん。そんな恥ずかしいこと言えないから嘘ばかりついてるのかもしれない…くらいは、俺は思っちゃうよ。どうせ報道を観てるだけのこっちにはわからないんだから、同情したくなるようなことばかり殺害した側が言うときには、同情の余地のないことくらい頭に思い浮かべておくように俺はしている。ほんとはそうだったに違いない…とか決め付けるんじゃなくてね。「死人に口無し」だから。


 もちろんそうじゃなくって、本人たちの供述どおりかもしれない。だとしてもさ、「あなたには夢が無いと言われて殺した」って言うけど、人殺しをやって自分の夢を潰したのは兄その人じゃん。「生き方を否定され続けたから」殺したって言うけど、人殺しして自分の人生を否定したのは妻その人じゃん。犯人に何の同情も起きないが。つうか、妹や夫がそのようになじりたくなるとおりの人だった…ということでしょ、供述どおりだとしたら。妹を殺しちゃう程度の夢であり、夫を殺しちゃう程度の生き方だったわけだろ。身の危険にさらされながら執拗に追い詰められて、誰に相談しても警察に相談しても埒が明かなかったとか逃げ場がなくなったとかで、「もう、殺される前に殺すしかない」って場合ならともかく。そういう防衛じゃなさそうだし。


 こういうのって上に書いた競馬の話と同じじゃないかなぁ、と。「ギャンブルは良くない、賭け事は恐い、身の破産につながるんだ」と思ってる人が、横領して捕まった奴が涙ながらに「博打にのめりこんで、有り金はもちろん、借金して何もかも失いました。そこで魔が差して…」と語れば、「ほうら、見ろ。横領は悪いが、しかしそもそも賭け事があるのが良くない」と思っちゃうとか。あび卯月さんが書いてるホラービデオのせいにしちゃう見方とかも同じ。…でもさそれ、犯人の嘘だったり言い逃れだったりもするからね。世間が「気持ちはわからんじゃない」と同情してくれたり「この人のせいだけじゃない」と言ってくれたりするところを、見込んでるだけかもしれないから。世間はともかく裁判での情状酌量を期待してるとか。そういう点では、kmizusawaさんとこのコメント欄でkechackさんが書いてる、

マスコミはなんやかんや男性社会ですから、何か最近のルサンチマン化した男性の鬱積した感情の露呈が気になります。アンチジェンフリにも通じるのでしょうが。


 何でそれが「アンチジェンフリにも通じる」ことになるのか、ってことね。ジェンフリ批判者にも、おかしな意見があるのは事実。「フェミニズムの害毒で、こういう妹や妻みたいな女が出てくる。殺した兄も殺された夫もフェミニズムの被害者だ」みたいな意見を指しているならわかるんだけど、そんなのは批判者からも叩かれているのも事実。こういう変な意見に通じるのは、ギャンブルがあるから横領する奴が出るとか、ホラービデオがあるから猟奇殺人が起こるとか、アンチジェンフリがあるからあのような報道になる…って見方だろうよ。そういう同一線上の短絡じゃないかな、これは。


 それに、マスコミの報道はそういうことは言ってないじゃん。マスコミがなんやかんやで男性社会であるとしてさ、意識的に(視聴者の)女受けを狙ったり、無意識的に(加害者・被害者の)女に同情的だったりする男も多いわけじゃん。だから報道なんかでも、必ずしも男をたたくとか女を叩くとかに偏ってるとか、感じないんだけどな。男って、良かれ悪しかれ、そういうところがあるでしょうに。妹殺しについてのkechackさんの見立ては、当初の妹への厳しい見方の中に、確かにそういうのもあったろうと思うけど、そこで問題なのは「そういう見方をすることそのもの」ではないじゃん。問題は「犯人が供述するままに判断したり世相に結びつけちゃう」ところにあるんじゃないの?夫殺しの方も同じこと。だけどこれがkechackさんの元エントリにかかると、


殺人事件の加害者のほとんどは身内 - Munchener Brucke

渋谷区の主婦は恐らく「自分はDVの被害者である」という存在になることを認めたくなかったのであろう。

 兄とは違って、こっちは妻の供述を真に受けてるが。そうだったとして、なんでそんなことが言えるんだろうね。知り合いなのかだろうか。しかも、何だかいきなり愛国心の話にまでなっとるぞ、批判的にだけど。…いい加減にしたらどうかね。今回の事件の何をkechackさんは知っていて、それが保守派の言説と何の関係があんのよ。フェミが蔓延するから、アンチジェンフリがはびこるから、ホラービデオがあるから…おお、あれとこれは通じてる、これとそれも通じるものがある…何だって言えちゃうんじゃないかな、そういう雑な解説は。


 なんかこうなると、いっそ殺された人の霊を霊媒師に呼んでもらって、被害者の側から「真相」を語らせてあげたい気もする。ところが、それでも本当のところはわからなかったりもして…だって、死者の霊が語るのも自分の立場からの我が身可愛さであったりしてね。


芥川龍之介 藪の中

*1:しかしそれにしても、あびさんの妹さんは蛮勇だなぁ。というか、信頼されているんですね、お兄さん^^