憂国のつぶやき(小熊英二氏が語る)

 沈滞中と言われる左派にあって、好著をものして右派にも一目置かれる気鋭の文士、小熊英二氏。その小熊氏が憂国の情を淡々と語る記事をご紹介するとともに、読んでて自分もいろいろ言いたくなったので、一面識も無い私ながら勝手に対話形式にして書くことにした。なお、ここんとこ硬い文章ばかり書いて肩が凝ったので、たらたら書く。

http://www.jukushin.com/article.cgi?k-20070101

日本の教育は、数々の問題を抱えている。しかし、今回の教育基本法改正による教育の改善は期待できないと思う。逆に今回の改正で、日本社会が不寛容で窮屈になる可能性がある。

 いきなり話がそれるけど、「教育基本法改正による教育の改善は期待できない」っていう言い方、これで正しいんだよね。よく「改悪」という言葉を主に左翼が使うけど、あくまで法律用語として「改正」と言うんであって。「正」の対概念は「悪」じゃないよ、「善」の対概念が「悪」。だから、何かの法を改正しようとする側は「その法改正で事態が改善しますよ」と主張するのに対し、反対派は「こんな法改正では事態は改善されませんよ。むしろ悪化するでしょう」と主張するのが言葉としては正しいはず。これ、実は単に言葉づかいにとどまらず考え方にも直結する。人は言葉で考えるからね。だから「改正ではない、改悪だ」と言ってる人、政治案件での意見対立であるのに、自分たちが善で相手が悪だと言ってるに等しいよ。つうかそう思ってない?マジで。でも刑法とかはともかく、法文って善悪を定めたものかな?これは教育行政の法だよ?善悪正邪を定めた徳目の書ではないんだけどね。…こういうところで、一般ピープルからも「左翼の人って、いつも自分たちだけが善人みたいな言い方するよね」「独善的だよね」と言われちゃうとこなんだよな…。言葉って、そういう意味で恐いよ?


 さて本題。私も今回の法改正で、そんなに事態が改善されるような期待はもっていないのだけど、でも小熊さんは「今までは寛容だったのに」と思ってるのかな。「今まで以上に窮屈になっちゃいそう」と思ってるのかな。後者だったら、私も同感。なぜかと言うと、戦後のこの手の「基本法」って、何かの理念をドバーッて打ち出してくるでしょ、日本国憲法前文からしてそうだけど。あぁいうのは、革命してできた共和制の国が、何らかの国家理念でもって国家を統合しようとするときには必要なのだろうけど、その分、不寛容になっちゃうんだよね。だって、そんな紙に書いた理想理念を掲げて、国民にその理想理念を強いるわけだけど、そしたらどんな理想理念だってそれに異論のある人は出てくるわけですよ。そういう人たちは疎外されるように、はなからできちゃってるわけで。


 それはいかんということで、もっといろいろ書かなくっちゃと、どんどん文面の文字を増やしていって、それで理想理念はことごとしく微に入り細に入りして、ますます窮屈なものになっていく。でもキリスト教とか、かたや聖書の説くところがバーンってある国では、それでもまぁ国政上の理想理念と、人間としての理想理念は別物だから使い分けもきくけど、日本みたいな国だと、なにやら憲法とか基本法を聖書か経典のように思う「信者さん」が出てくるわけです。この人たちが、いっとう五月蝿いですな。でも憲法とか基本法というのは、国政の政務綱領なんであって、お経でも祝詞でもないっつうの。だから教育基本法とかでも、何かを高らかに謳えばよろしいってもんじゃないんだけどな。つうか、そんな絵に描いたような理想理念なんて、天照大神もお釈迦様も孔子イエス・キリストもおっしゃらないでしょ。だいそれたことなんですよ、それは。

だから政治家は、子供が戦後教育で甘やかされたからだとか、家庭の教育力が低下したからだとか、日教組が悪いなどと責任を転嫁して、「愛国心」だの「公共の精神」だの「家庭教育と社会教育の連携」だのといったお題目を唱えているとしか思えない。


 まぁこれは、どっちもどっちだな。向きは違えど、やってることは似たようなもんだったでしょ、左派も。あぁ、俺もか。生まれてすみません。

 そのため、今回の基本法改正では、前述のような状況に対して何の効果もない。家庭や地域社会を支えていた下部構造が変わっているのに、「国と郷土を愛する態度を養う」とか、「公的秩序を尊ぶ」などと法律に説教を書いても現実に効果があるとは思えない。


 いやぁ、だからそのような状況への対処としては、政財官一体となって、男女共同参画社会基本法を作ってやってるんだから。賛否はともかくとしてね。だけど改正教育基本法は、そういう経済政策とは別じゃん。小熊さんがそれ批判するなら、「この男女共同参画社会基本法に基づく国策の現状では、こうした家庭や地域社会を支えていた下部構造の変化に対応できてない」とか「お題目ばかりで…」とか言わなくっちゃ。あるいは今の男女共同参画社会政策をもって、小熊さんは諒としているのなら、その点では政権与党を支持する側でしょ。こういう筋違いの批判は、単なる言いがかりにしかならないよ。政権与党は高度成長期の家庭像や国家像に向かって復古しようと訴えてるわけでもないんだし。

 思うに現代日本では、「愛国心」とか「公共心」の内容が非常に貧しい。「愛国心」といえば「政府の命令をきくこと」だとしか考えられていないのではないか。


ヲヲ、いいこと言う。つうかそれ、保守派の誰もが言うことだし、国会でも安倍さんが言ってたじゃん、ミズポに対して。

逆に米国では、星条旗を掲げて反政府デモが行われることがある。例えばベトナム反戦デモだ。ベトナム戦争アメリカ建国の理念を裏切っている汚い戦争で、この戦争を続けることは国益にも沿わない、だから星条旗を掲げて政府に抗議する反戦デモを行う。こういう「愛国心」が、現代日本ではほとんどイメージされていない。


 日の丸掲げて八紘一宇・四海同胞を叫びながら「神武肇国の精神に反する無道な戦争に反対!」とか?…うーん、どうだろうな、それも。悪くはないんだろうけど、なんかちょっと嫌かも。何が嫌なんだって問われると困るけど。ちなみに政治運動での用い方とかではなくて、私は掲示板でこう書いたことがあるよ。
newSpeakBBS
 でも小熊さん、ここで突然にヒノキミ闘争やってるアカ先生への批判なのかな、これは。さすが『民主と愛国』の著者だ、そこらのブサヨクとは言うことが違う…

本の学校の国旗国歌問題でも、「こんな事をしていたら日本はアジアの中で孤立してしまう」という信念で反対している教員の方が、文科省の命令次第でどんな旗でも揚げる校長よりも、国の未来を真剣に憂いている「愛国者」かもしれない。


 そうそう、あの人たちの憂国の咆哮といったら、三島由紀夫も真っ青…いや真っ赤になるほどだよね。いやさ、私も「日本が誇る平和憲法の理想を世界へ広めませう!」とか言ってる人は、実〜は国粋主義者だと思ってるんだ(だってそれは「世界皇化」。嘘だと思うなら、第9条だけじゃなくて第1条も見てごらんよと)。でも国粋主義は、ちょっと、ねぇ。もちろん小熊さんのスタンスとしては、「より愛国者と言える彼らこそ、良い」じゃないわけでしょ、そうすると結局ここでは、だからどうなんだと言いたいわけ? 彼らこそ純粋な愛国者である、憂国の国士である…としてさ、不純な動機である官憲の犬より良いではないか…って言うけどもね、それは皮肉や当て付け以上のものになるだろうか。


 それよりさぁ小熊さん。小熊さんは以前、戦後の左翼運動を振り返って、全共闘運動は評価できないけど、ベ平連運動は評価できると言ってたよね。
小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語る
小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語る(下)
 するとそういう問題意識のうえで、今回さらに、反戦運動で日の丸掲げてたらどうだったかな…ってとこまで小熊さんの考えは及んできてるわけでしょ。「日本を取り戻す」というか。でもさ、改正教育基本法に対する政府批判の文脈でそゆこと言うのもどうかなぁ。あの先生たちの国旗国歌へのイメージの貧困さというのは、なんですかな、ちゃんと文部省や教委が教育指導してやらなかったからだ、とでも?


 小熊さんはそっちを望んでるわけじゃないだろうに、そっちを望む意見と親和性が高いことを、自分では言ってないかな。そりゃヒノキミ闘争のアカ先生が自分で考えなくちゃいけないことじゃん。あの人たちがそれを考えないまでも、あれを応援してきた人たち、共感してきた人たちが、今までのようでいいのかどうか、これから自分で考えてかなくちゃいけないことじゃないかな。それを政府の責にして失政とするなら「うん、だからこれからそういう教育指導をやっていこうと言ってるんですよ。勘違いしないで期待しててよ」みたいに胸を張って言われちゃうよ、安倍さんたちから(苦笑)。先生は大の大人なんだから、そんな教育指導が必要ということ自体がおかしいと思うんだけど、俺ってやっぱどうしようもない個人主義者かな。小熊さんの憂国の情も、わかるんだけどね。


憂国のつぶやき(小熊英二氏が語る)Ⅱ - Backlash to 1984に続く。