右往左往する話

 史論を続けているうちにすっかり遅れてしまっていたが、saitoさんからトラックバックいただいていた話題をここでしてみようと思う(http://www.mirai-city.org/blog/archives/2006/12/education.php)。史論の続きは日を改めて、追って書くことにしたい。saitoさんが述べている主旨に、細部はともかく私はおおむね同感であった。いや、同感だったというと「自分もそう思っていた」というような意味になるので、正しくは「教育再生会議で出ている論調について自分が漠然と感じていた違和感について、明瞭な表現に出会った」と言ったほうがいいだろう。これに限らず、自分が表現しあぐねていたことについて、的確な言葉を得るという体験は心地良いものだ。こういうときは、やや異論のある細部ではなく、同感である主旨について語るのが普通なのだろうし、それが「建設的な対話」なのだろうと最近は思うようになってきている。

現状の教育改革の公共の議論を席捲しているのは、そういう真摯な態度ではなく、個人の思念を広げようとする人々であり、科学的検証と対話と調整を軽視する彼らの専門家としての有り様に、私は強い疑問を感じる。また、保守に関する論説の多くが、彼らに席巻されていることに、保守全体に対する危惧を感じざるをえなくなっている。できうるならば、わかりあいたいものだ。ただ、現状の教育改革は、そして保守全体は、総体として対話の構造が崩れてきているように強く感じる。


 これがsaitoさんの結語であるが、これに続けてみよう。保守派といってもいろいろな言論スタンスがあり、さまざまな政見があるわけだが、たしかに保守論壇のメインストリームにはsaitoさんが懸念するような論調が目立っているように私も感じている。保守派の言説の変調については、これまでにも少なからぬ人が言及してきており、同様な問題意識を持っている人は意外に多いのかもしれない。あくまで私の主観にすぎないが、現今の保守派の言説には、どこか「堪忍袋の緒が切れた」といった感じを受けることが少なくない。私自身は、彼らのこうした憤懣には共感できることも少なからずある。だがそうである自分も含めて、その一方ではその論調や論理がしばしば非常に「大人らしくない」ということ…保守的なるものとは大人らしい態度や物腰であることを私は考えさせられるようになっていたのだが…ふと気付くと保守論壇が子供じみてきているように感じられたのだ。


 ここで私の脳裏に浮かんだのは現在の政争におけるコミュニケーション様式の論点なのであった。ところが、私は、いったいにコミュニケーションが苦手である。ましてや、コミュニケーション論となると、いよいよもって語る口を持たない。ひとさまの意見を見聞きしながら、ときに叱られながら、やっとこさやっているのだ。また、saitoさんはウェブ言論そのものについても強く問題意識を持っておられるようである。これも私の分外になるのだが、関心がないわけではない。そこで今回は、あまり自分の意見というものは書かず(書けないのだ)、引用を主としたい。まずは、『バックラッシュ!』(双風社)に所収の鈴木謙介氏の小論「ジェンダーフリー・バッシングは擬似問題である」から、関連する部分を引用する。

事態はすでに「情報戦」の様相を呈しはじめている。下手をすると、ジェンダーをめぐる問題とは、このような情報戦における立ち位置の取り方を意味すると思われてもおかしくはない。
 議論がよりよい社会をつくるためのものではなく、立ち位置のような派生問題へとずらされていくのは、歓迎されるべき事態ではない。本来ならば、そのような些末な問題は無視して、よりポジティブなテーマを扱うべきだろう。


 私は自省的にも、これが重く受け止められてならない。前掲書はジェンフリ教育論争を扱っているので、鈴木氏の論考も主にその問題を扱ったものなのだが、ここに氏が述べることは歴史教育論争にも当てはまる。いわゆる歴史認識問題においても、「情報戦の様相」はさらに激化したかたちで展開されているのは周知のことと思う。私は教育論争における「情報戦」としての側面についてはつとめて距離を取るように心がけてきたのだが、鈴木氏のこの指摘には目から鱗が落ちる思いであった。私はやたらと自分の政治的「立ち位置」を気にしていたからである。というより、気にしていないつもりでありつつ、やはり強く意識していたことに気付いたのだった。そして鈴木氏も歴史教育論争に触れ、「普通の人」の右傾化とされている現象について分析を進める中で、以下のように述べる。

 たとえば、杉並区で採択された扶桑社の歴史教科書をめぐる問題について起きた、ネット発祥の動きについて見てみよう。二〇〇五年、扶桑社の教科書を採択した杉並区に対する抗議行動に対して、「2ちゃんねる」を発祥として、抗議行動を「ヲチ(監視)」するオフ会が企画されたことがあった。彼らの目的となっているのは、あくまで採択反対派を「茶化す」ことであり、行き過ぎた振るまいがあった場合にそれを記録し、ネット上で公開することだ。だが彼らはそうした左派への揶揄を行うと同時に、みずからの活動が「つくる会」の活動と同一視されることに対する反感と、右派の主張へと自分たちが取り込まれていくこと危惧を表明する。すなわち、彼らはかならずしも「つくる会」の教科書を採択すべきだと強く感じているわけではないが、教科書採択に反対する人びとには反感を持っているという意味で「反対派の反対」という立ち位置を採用しているに過ぎないのである。

サヨク嫌い」の内実が、社会科学上の左派への反感によってではなく、コミュニケーション形式としての左翼への反感であり、そこでなされる批判の形式もまた、おうおうにして(彼らが侮蔑するタイプの)「サヨク的」ですらあるという点は、別の場所でも指摘したことなのでここでは繰り返さない。さしあたり重要なのは、「右寄り」に見える「普通の人びと」の感受性が、むしろコミュニケーション形式としての左翼に向けられた反感(というか同類嫌悪)から生じており、――近年の「格差社会」に対する関心の高まりに見られるように――かならずしも左派的な政策への反感から生じているのではないということだ。


 私は上で保守派の論調・論理の変調と書いたが、これを少し補足すると、近代化狂想曲 - Backlash to 1984で書いたように私自身は保守の人に叱咤されつつ(遅々としてであるが)成長させてもらったという思いがあるので、私自身は保守派ではないものの、保守的な価値観を表現した言論内容そのものというよりは保守的な価値観を大事にしている人の持つ言論態度というものを、これはやはり大切なことだと学ばせてもらっていたのである。そこで保守派の変調とはいうものの、実際のところ、人が入れ替わってきたのではないだろうか。ここであえて「サヨク的」を「聞く耳を持たない」「ひとの言うことに耳を貸さず自分の言いたいことしか言わない」「憲法だとか教育基本法を聖書か何かのように思うシュウキョウ的なお花畑の住人」「やたらとケンリョクのインボウを説きたがる」という方面に限定して戯画化してみる。すると、saitoさんの言う「個の思念を広げようとする人たち」の「対話の構造が崩れ」は、鈴木氏の指摘することと軌を一にしているように思われる。これをして「ホシュのくせにサヨクっぽい」と皮肉るのもつまらない話だし、「つまり左傾化しているんですよ」などと言い出すなら愚かなことだ。内田樹氏が著書の中で述べているように、サヨクにありがちなコミュニケーション様式が「ウンザリされて」きたこともあるだろうが、それよりも私は鈴木氏の指摘することが頭に残って離れない。


思えば保守を代表する論客は、かつてこのようなことを言っていたのだが。福田恆存(つねあり)の『教育・その本質』より端的な部分を引用するが、

 教育において可能なのは、知識と技術の伝達あるのみです。なるほど「教育好き」はそれ以上の欲望を起す。つまり、相手の人間を造つてやらうとする。が、どうしてそんなことが教師に可能か。幼いときから始終子供を手もとにおいてゐる親にもできないことです。第一、子供をかう造り変へたいといふ人間の理想像を、教師はなにを根拠としてどこから拾つてきたのか。また、どんな教師にその資格があるのか。教育においていつも変らぬ原則は、自分が真に所有してゐるものだけしか、子供には与へられぬといふことです。


 次に紹介するのは右翼の葦津珍彦(うずひこ)が左翼の鶴見俊輔の求めに応じ、鶴見が主宰した雑誌『思想の科学』に寄稿した小論である。「教育にとって自由とは何か」という特集が組まれた1985年7月号に掲載された『自由国家に真の教育権なし』と題する葦津のこの論文は、「いかなる階級職業の国民にとっても、絶対に必要な、初歩の国語、算数、理科教育の最小限度に、教育事業を止めるがいい」として徹底した教育自由化論を展開しており、他の左派の論客がいづれも「どのような自由をどのように教えるか」に傾斜している中で、ひときわ異彩を放っている。葦津珍彦選集には未収録なので、ここに長くなるが今件に関していそうな部分だけを引用する。*1

 義務教育以上の教育制度からは、国家は手を引くべきである。それは私人の私的社会活動にすべてを任せるべきだ。さうすれば、多様多彩な教育機関ができる。中には、わずか三年で、五年八年の大学よりも社会的信用度の高い教育をする所もできるだらう。同じく経済学を学ぶにしても、役所の公務員、大企業のサラリーマン、独立商店の経営希望者等の別によって、ムダの少ない有効性の高い教育をすることになろう。経済に限らず、文科でも理科でも、各人の希望と社会的需要とのバランスによって、多彩な教育がより効率的に行はれる。優秀な三年生の専門学校が、劣等の七年制大学よりも、社会的信用度が高いといふやうなケースが、社会の各部門に現れて来れば、明治いらいの無内容で形式的な学歴社会のバカげた風潮は、破られてしまふ。それは実学的でいいことだ。
 教育制の徹底自由化は、教育の商業化を招くとの評もあるだらうが、私は、今のつまらぬ官僚権威主義よりも、商業化の方がよほど良いと思ふ。(…)今の進学塾の教師は、商人であるが、文部省の官僚権威を背景とする国公立の教師よりも、はるかに効率のいい教育をするのに熱心である。商人は奴隷ではないが、上役人よりもサービスがいいのは確かである。

 それでもなほ「教育商業化」を嫌って「高尚にして品格ある学問教育」に熱心な人びとがあるだらう。それらの人は、同志相謀って、社団でも財団でも作って「品格の高い」教育機関を、設立するのは結構なことだ。しかしそれは、私人の自由な社会活動たるべきものである。なにが品格が高いか低いかとの精神的価値判定は、人民各人の私的価値観によって定められるべきであって、決して国家などが干渉すべき枠内のことでないとするのが、現行憲法の国家の分際の本質である。
 「われわれはいかに生き、いかに死すべきか」。この教育の第一義をもとめるのは、国家公権力の問題として討議されるべきではなく、私人の社会問題として討議されるべきだ。現憲法下の政府大臣などが、根底怪しげな「自由教育制」などを、国家国政の問題として論ずるのが、そもそも越権の沙汰である。


 福田や葦津の見解に対しては賛否もあろうが、私がここで引用して何を示したかったかと言えば、賛否以前のことなのだ。かつて左派・進歩派に向けて出されたこれらの右派・保守派の意見が、今はなぜか「教育再生会議」の論調に代表される保守論壇への指摘として、むしろ当てはまりそうだということなのである。

*1:なお、この雑誌における原文は現代仮名遣いだが、葦津は歴史的仮名遣いで書くことを常としていた人なので、ここでは歴史的仮名遣いに変えて引用させていただいた。