お返事

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070103/p2

感情的な悪口に対して学問的に批判されて「どうだろうか」ときかれても困ってしまうなあ…というのが正直な気持ちである。

まず、「どうだろうか」というのは、いろいろ考えようがある中で、
(1)「櫻井の元発言は引用されたものからすれば、こういうことが言いたいように思うが」
→「どうだろうか」
(2)「その向きの反論をするなら、これこれの先行研究からこのように考えるのだが」
→「どうだろうか」
私はそう考えたが、読者の判断にゆだねます…ということです。いづれも私が断定できる話ではないので、そのように書きました。kmizusawaさんとしては私に返答を迫られたように感じたようですが、そうではありません。まして森浩一の所見を紹介したからといって、「歴史についてこう見るべきってな話をされてもなあ…」と思われたくないから「どうだろうか」と書いたわけです。言葉って、難しいですね。


「感情的な悪口」であったろうことは読めばわかります。「脊髄反射」で反発しちゃったんだろうなぁということは。別にそのこと自体を責めたりしていません。ただ、そこで終わってほしくないというか、そこで終わるのは非常によろしくないでしょうということです。なぜなら、やみくもに「右傾化だ!」「これだから愛国心なんてのは!」などと繰り返している人も多いが、いざちょっと歴史の話に踏み込むと、実は何も知らん…こういうことに、保守派も右派も飽き飽きしているのが現状なんですよね。でもほんとは、そんな左派ばっかりじゃないわけですよ。左派を自称しての史論なら、ひとりの左派としての見識を聞きたかっただけです。史論と言うと大袈裟ですが、自分の知っていることではこうなのに…くらいのものであっても。歴史が好きなら、政治的に熱くなるのを押さえて好きな歴史の話をできるんじゃないか、とか。


で、何でそこまで反発するやら、読んでてわかりませんよ、と私は最初に書きました。hazama-hazamaさんのご意見は非常にわかりました。kmizusawaさんもそうだったのかな?と思い、それも書きましたが、今にいたるまでkmizusawaさんご自身からは「それが言いたかった」とも「いや、そういうのじゃない」とも説明がありませんでしたから、いまだにわかりません。トラバが送られたからといって返信義務などないわけですが、そういう義務感とかではなくて、何だろう…説明責任というとこれはまた大袈裟なのですが、歴史教育をめぐる櫻井よしこの史論はおかしいじゃないかという主張であったのなら、それは学問的におかしいじゃないかということだろうかと私は思ったのです。が、とにかくあそこで書かれてあることそのまんまであって…ということであることはわかりました。そうなると、「櫻井は歴史がわかってるのか?」と言ってるご本人もまた、実はその件について「よく知らん」ということにならないでしょうか。というか、それだといったい、何の根拠でもって「そこまでして日本を特別だと言うのか」という言葉を投げつけることができるのでしょう。


とにかくもう、何か日本の独自のと言うと、やっきになって否定しにかかる傾向がサヨク言説には時々見られますが、日本の独自の…という言葉自体が、そんなに嫌だろうかと(これは私のネット上の知り合いの左派の人が歎いていた言葉ですが)。櫻井氏を、私はそんなにかばう気もありませんけれど、確か昨年でしたか、何の法案だったか政府案に対して「日本人は大勢でひとつの方向に極端に走りがちなので、そういう風土でこのような法案は非常に危険」みたいな警句を国会で意見陳述していたように思います。別に彼女は、日本の国民性みたいなものに何でもかんでも良いとか綺麗なところしか見ていないとか、そんなことは感じられないわけですよ。ただし彼女が「ここが日本独自の良さ」とするものに反論がある場合は、もちろんあるでしょう。その場合には、「それ、日本独自ではないですけど」という事実論か、「それ、ちっとも良いとは思えませんが」という価値論か、そういう反論ならわかるんですけど。なぜ、たったあれだけの発言で、そこまで政治的に非難すべきことなのか、とにかくわからないんですよ。


http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20061228

あーところで櫻井よしこ発言に関するエントリ絡みで、私の政治的立ち位置に関するご指摘(左巻きなことを言ってるけど実は保守、ジャーゴンで思考停止しているところはむしろ旧守的)をいただいておりますが、自分でもそうじゃないかと思っていました(首から上だけ左巻き)。ああいう風にご指摘を受けると逆に心が楽に。(つかここ見に来てる人の大半は、皆それわかって来てますよね?)
まあでもやっぱり左に巻いたことを言うとは思いますけどね(言葉尻を捉えて茶化すとか、イタい政府批判など)。好き嫌いとか向き不向き関係なく、誰かの利益とか幸せとかすらもしかしたら関係なく、そっち系でいることを私は選んでいるので。嫌なことには嫌と言いたいし、気に食わないことには気に食わないと言いたいんで。


でも、kmizusawaさんの政治的「立ち位置」など、櫻井発言の賛否についての論考に何の関係があるのでしょう。私がkmizusawaさんを「保守的」だと言ったのは、ただ単に「ほらサヨクだから、すぐこういうことを言う(笑)」みたいな反応を私がするのを読者が期待するなら、私はそういう見方をこの人にはしていない(ウヨサヨしていない他のエントリを見てくれ)ということと、何もサヨクでなくたってそういう有力な見方はありますよ(私もそういう見方をしていますよ)、ということを言いたかっただけです。


kmizusawaさんがご自分の政治的「立ち位置」を、ご自分の好みで選択するのは全く自由です。しかし、少なくとも櫻井氏の歴史についての発言に大いに問題があると痛罵しておきながら、何が問題であるかも言えず(ただ自分の気に入らないということだけ)、結局はただ単にご自分の好みの問題なのでしょうか?だからそれが少々不安になった私は、先のエントリで、このように書きました。

論敵が教壇に立つのが、そんなに「嫌なこと」なのかなぁ。嫌だとして、それに政治的に反対するだなんていうのは、自分が何を主張しているか、わかっているのだろうか?

「誰かの利益とか幸せとかすらもしかしたら関係なく、そっち系でいることを私は選んでいるので。嫌なことには嫌と言いたいし、気に食わないことには気に食わないと言いたい」と言われますけど、そんなご自分の好みでもって痛罵されても(櫻井氏は痛くないでしょうけど)、「歴史」そのものへの考え方でもない、ただ政治問題として自分の政治的「立ち位置」でもって「気に食わないから」反対する…そんなことでは、学問の自由も何もあったものではありません。「サヨクこそ自由主義の敵だ」「エゴイズムは自由主義を喰い潰す」というのは現今の保守論壇にあふれかえってますが、それを自ら実演するようなものだと思いますよ。というか、あれほど連日に渡って右派の歴史観だの歴史教育論だのを痛罵しておいて、自分自身は何か言われたら「だってアタシ、歴史は好きだけどそんなに知らないも〜ん、歴史が好きだとか言うんじゃなかったよ」って…。だったら歴史学者でもなく歴史同好会の人でもない櫻井よしこ氏その他が、おそらく場の勢いで(それこそ脊髄反射的に?)政治的に変な歴史語りになっても批判できないのでは。


私自身は、それこそ櫻井氏が歴史学者でもなく歴史同好会の人でもないがゆえにそこまでの精度を求めていないのと同様に、kmizusawaさんにもそこまでの精度を史論に求めていません。でも、何がそこまでして罵らせるのか、その根拠をお聞きしたかったのです。kmizusawaさんのご意見が「間違っている」とか「歴史はこう見るべき」とかではなく、「その発言はこうも読めませんか」「もしこの種の反論なら、こういうのも根拠になりますよ」といったことを私は書きました。