櫻井先生と森先生

燕王公孫淵の敗死と、邪馬台国女王卑弥呼の使者 - Backlash to 1984の続きである。hazama-hazamaさんの意見http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20061227のうち、今度は以下の部分から掘り下げつつ、この話題を振り返ってみようと思う。

征服王朝」や「遼」といった言葉も中華意識にまみれた言葉だ。「征服王朝」とは、中国は漢民族が支配する土地であるという前提が込められていると言えるし、「遼」と言った場合には中原進出以前のキタイ国家を正式な国家としてを認めていないことにもなる。私はこうした中国人の「欲望」を認める気は無い。それは歴史を歪曲しているからだ。同じ理由で日本の「中華意識」を認める気も無い。

ここの箇所には、やや疑問符がつく表現も含まれているが、大意は理解できるように思う。そこで疑問を感じたところは少しく補足しながら述べることとしたい。


 「征服王朝」は漢人中華思想にもとづいて命名した用語ではない。仮に「漢人の文明がひたすら周囲の異民族を同化してきたのだ」といったような史観があれば、それが中華意識にまみれた史観と言えるのではないだろうか。「征服王朝」概念の提唱者は、ドイツからアメリカに亡命した歴史学者ウィットフォーゲルである。「漢人は同化させる側(漢人は影響を受けない)」「異民族は同化される側(漢人に影響を与えない)」という一方的な「同化する/される」の関係であったかのような史観に対して提唱されたのが、彼の「征服王朝」概念であったと思う(私は詳細を知らずアウトラインしか覚えていないのだが)。また、重箱の隅をつつくようで申し訳ないが、「遼」という国号はキタイ(契丹)人みづからが名乗った国号であり(「契丹」に戻したり再び「遼」と号したり曲折があったらしいが)、彼らが自称したところの漢風の国号を用いることが「中原進出以前のキタイ国家を正式な国家としてを認めていないことにもなる」というのは、当たらないのではないか。


 さてウィットフォーゲルが定義するところの「征服王朝」とは、漢人ではない民族が故地を失わずに漢土の一部もしくは全土を征服した場合にのみ当てはまるとされるものであって、故地を棄てて漢土に築いた国家は対象ではない(彼はこれを「浸透王朝」として区別した)。つまり、契丹人の「遼」を「征服王朝」とみなす基準がそこ(先祖伝来の故地を棄てずにある国が…ということ)にあるのだ。したがって、漢土の一部を領有する以前からの連続性を念頭におけばこその謂いなのだから、それ以前の契丹を「正式な国家として認めていない」ことを意味しはしないと思うのだが、どうだろう。これは女真人の「金」についても同様であって、契丹からの独立をもって金国の成立としていることと同じである。宋を攻撃して華北を支配する以前の金を「正式な国家として認めていない」のではない。ただし独立して国家成立したその時点ではまだ「漢土における征服王朝ではない」ということである。*1


 とはいえ、細部はともかくhazama-hazamaさんがここで言及したい本旨、つまり彼の言う「野望」については、私も基本的には同様な考えを持っている。そこで近年の話題からであるが、中華人民共和国が「高句麗は中国の地域政権である」と発表し、韓国人の猛反発を買っていることを考えてみよう。かの国に出てきがちな中華意識の表れ方としては、これが象徴的なのではないだろうか。これについては、「その国が漢人の建てた国であるか異民族による国であるか」を基準にしているのではなく、「現在の中国の領域にあった国は中国史の一部」というのが中共の言い分らしいが、現在の中国に覇権主義的な拡張気運があることを示す一環にも思え、気色のいい話ではない。民族を前面に出さず現有する国土の論理だけでもって、しかし過去に近接した異国を現在の自国の一部であったとする論理である。かつて、長城以北は漢土にあらず…が漢人の常識的な感覚であったはずだが、今や「漢土」ではなく「中国」として、歴史の中の異国を現在の自国の観念でもって、過去に遡って征服しようとするものだと言えよう。その意味で、野心的な史観だと言えそうである。この論法から言えば「中国」が領有した土地の歴史はすべて「中国の地方史」になるらしく、先々は高句麗どころではなくなるかもしれない。*2


 これは端的に言って、現在までの共産党独裁体制を今後にも磐石にすべくリニューアルされた新たな「中国史」の創設、なかんずくマルクス主義一辺倒では立ち行かなくなってきたことの政治的要請としての、歴史的現実とは遊離したところの「中国」を過去に遡って打ち立てようとするものだと言えるだろうが、hazama-hazamaさんの説く「野望」を背景にした史観には、このような性質があるものと考える。


 これは日本で言えば、たとえば「琉球王国は日本の地域政権だった」と言うに等しい。琉球王国は、日本国とは別個に成立して存続していた国家である。また「北海道は、かつて和人が蝦夷地と呼んだ頃から日本の一地方であった」とか言うようなものだ。そのような表現はおかしいだろう。しかしそれを「おかしい」と言う指摘は、それは何も、現に「日本国の一自治体として沖縄県や北海道が多くの県民道民の意志とともにあるではないか」ということと、対立する話ではない。「高句麗は中国じゃないだろう」と当たり前の史実を言うことが、「中華人民共和国は旧満州の地を放棄すべきだ」とか「ここは本来は中国が領有すべき地域ではない」と主張するようなことを意味しないのと同様だ。「中国の地方政権」と言えそうな例を挙げてみるなら、昨日付けのエントリで紹介した公孫氏の政権が挙げられるだろう。事実上の独立勢力なのであっても、これなどはまさしく「中国の一地域政権」だと言えるだろう。が、この公孫氏と初期の高句麗の抗争は、中国国内の地方政権どうしによる内戦ではない。そしてさらに後には、高句麗を征服しようとして遠征し、かえって大敗したことが滅亡の一因となった隋の例もある。その高句麗を、いかなる意味においても「中国の一地域政権であった」とみなすような史観は論外だろうと私は考える。公孫氏の場合と似た面がありそうな例を日本史で挙げるなら、奥州藤原氏の政権が挙げられようか。これも往時には半独立状態だったと言って良さそうである。hazama-hazamaさんが補注に書いていることとして、

・言わずもながのことだが、沖縄と北海道はかつて「日本」ではなかったのだし、恐らく東北や九州もそうである。

・歴史におけるミクロとマクロの結合はジレンマを抱えているといわざるを得ない。日本の歴史的特異性を追及すればするほど、国民国家的な日本の歴史に包括できなくなる。そうすると日本史とは一体何だということになる。多分、「日本列島における歴史」くらいにしか言えないのだ。恐らく櫻井はこういうジレンマに向き合わず、国民国家という概念でジレンマを見かけ上克服している。


 これも、私が書いたようなことを指してのことであろうと思う。それは私にもわかるのだ。ただ、では現代中国では、現在の領土内にあった高句麗西夏南詔といった漢土に近接した異民族の諸王国の歴史を教えるべきではないかと言えば、もちろんそうではない。日本史でも同様で、現在の国内に含まれる地域の歴史は教えたほうが良いだろう。「琉球王国アイヌモシリは日本じゃなかったから日本史では扱わない」とするほうがおかしいだろうと、私は思う。どんどん「日本史」の中で教えたら良い。また、あまりそう「日本」という名称を、ある時代以降のエスニシティナショナリティに直結不可分なものとまで限定するのは窮屈に過ぎるだろう。より端的に言えば、「縄文時代は日本史ではないのか」ということだ。日本史で縄文時代を重要視することは、何も縄文時代に遡ってエスニシティナショナリティとして「日本」が存在していたことを意味しない。しかし縄文時代は「そのまま」ではないが「その後の日本」に結びついている。当然のことだ。「そのまま」でなければ「日本とは言えない」ということになると、むしろ「純粋不変の日本」を想定せねばならず、それではある種の日本観の裏返しであろう。*3


 さて、ここで指摘せざるを得ないのは、hazama-hazamaさんが(ひいてはkmizusawaさんもそうかもしれないが)、櫻井氏の短い講演録に強く反発してこうしたことを思ったにせよ、それはあくまで櫻井氏の言葉に触発されて想起したことでしかないのだ。私がここでかなりの字数を使って述べたようなことを、櫻井氏が「全く考えていない」のか「そういう考え方には否定的な見解の持ち主」なのか、それはあの短い言葉の中からは断定的に言えることではないだろう。現今の史観論争にはひとつの悪弊が論争当事者双方に多く見られるのだが、


「あぁ、こんなことを言う人は…」

「きっとこんなことを考えているのだろう」
「たぶんこういうことは考えもしないのだろう」
「このようなことを知らないのか。いつまでそんなことを言うのか」
「あの連中はこういう人間なんだから、困ったものだ」
「あぁいう連中がはびこっているから、世の中が良くならない(悪くなる)」


 このような短絡的な思考回路を経て、互いに憎悪を募らせ、同好の人たちとだけわかる言葉で悪態をつき溜飲を下げていることが多い。しかし櫻井発言について言えば、森氏が書いたようなことを櫻井氏が「考えもしない」のか「否定する考え」なのかわからないのだから、そのように読者として批判的に想起したのであれば、それはあくまで「自分が感じた疑念」として、そのまま指摘すべきだろうと思う。むろん櫻井氏その人がこうした個人ブログでの意見を読むことまでは想定しなくてもいいだろう。あるいは櫻井氏の真意はどうであれ、あの発言に見られるような言葉が独り歩きして、歴史をよく知らない人(これから歴史を学ぶ児童)に誤った史実認識が伝わることを懸念するのであれば、そのような書き方をしたほうが良いのではないだろうか。少なくとも櫻井氏に罵声を浴びせたところで、もともと自分と共感できる人が快哉を叫ぶだけではないだろうか。疑問を感じなかった人や、何となく感じた疑問を言葉で言い表せない人に対して、「もしこのように考えているのであれば、それはこのような史実と合わないので、適切な表現ではないと考える」などなど書くほうが、先学としての役目ではないかとも思う。また、史観論争における悪罵の応酬は世の人を(そして子供を)「歴史の面白さ、楽しさ」から遠ざける効果こそあれ、何の益もないことだ。


 また、あの発言は歴史学での新たな知見(と、その価値ある魅力)そのものについての何らかのリアクションなのではなく、冒頭からあるように、安全保障について強く意識した意見なのだ。したがって、そのような、現存する別の政治課題についての政論に従属した観の強い意見でもあるのだから、私は「その意見を批判するなら、ハンチントンの説から批判せねば批判したことにならないだろう」と書いたわけである。つまり、森氏が書いたような視点を櫻井氏が持っているかどうかわからないが、仮に櫻井氏がそれを知らなかったが何らかの経緯でそれを知ることになるとしよう、それにより表現はより正確さを増すだろうが主張の基本的な論調には影響しないと思うが、どうだろうか。kmizusawaさんの元エントリより再び引用するが、

「千数百年も二千年近くもほとんど鎖国状態」とか「たった一人で、百数十世代もの間、素晴らしい文明を築いてきた」とかって、単純に事実として間違っているような気がするんですが。


 単純に事実として間違っているような気がしたのであれば、単純に事実としての誤りを正して書けば済むことだろうと思う。発言者が言いもしないことや自分が想起した疑念を批判相手の頭の中に投影して罵っても、それは「批判」ではなく「悪口」でしかない。私は「ひとりで」の部分についてはハンチントン説の誤解であることは先に述べたが、「鎖国」の部分については、私も「そりゃ事実として問題ある表現だというのもなるほど」と思ったので、それを書いてみた。


 そこであらためて思うのだが、kmizusawaさんの元エントリのタイトル『こんなことを学校で教えるようになるのだろうか』に即して言えば、私の意見は「大いに結構ではないか。そのように教えたい人はどんどん教えたらよかろう」である。櫻井よしこ氏のような先生が、愛国心のあまりハンチントンを引用して鎖国云々と教えても良いではないか。森浩一氏のような先生が先行研究を噛み砕いて古代史から掘り起こして歴史を教えればいい、さぁ子供はどっちの歴史の話が面白いと思うだろうか。私ならそうするがなぁ、自分の批判対象が存在するのは刺激的なことじゃないか。論敵が教壇に立つのが、そんなに「嫌なこと」なのかなぁ。嫌だとして、それに政治的に反対するだなんていうのは、自分が何を主張しているか、わかっているのだろうか? あるいは「世の中がどんどん悪いほうへ行く」などとネガキャンを貼るのは、私は全く賛成できないのだが。少なくとも、櫻井先生の歴史観歴史学的に反論できないような先生は、歴史の教師としては不勉強すぎるまでの話だと思う。櫻井先生たちに人気を奪われるのであれば、サヨク先生の自助努力が足りないだけであって、政治や世の中のせいではないはずだ。改正教育基本法が森先生をパージするなら別だが、そんなことアリエナサス。「息苦しくなる」と感じるのであれば、深呼吸して、常の不勉強を反省して櫻井先生その他の愛国先生に負けない史論を展開できるように励めば良い。違うだろうか?

*1:なお、遼が領有した漢土の領域は華北の北端である燕雲十六州(現在の北京から大同にかけてのあたり)であって、中原には達していない。少し史実に誤認があるように思えた。

*2:近年の保守論壇における歴史教育をめぐる論調には、こうした動向への反発的リアクションとしての面が強いことも指摘できようが、話が拡散するので割愛する。

*3:その関連で言えば、「東北や九州も古くは日本にあらず」という見方には同様の問題が含まれている。そのように言うとき、それは「古代ヤマト王権の支配領域これすなわち日本」という認識が、意図するしないに関わらず担保される。「エミシやクマソはヤマトにあらず」とは言い得るかもしれないが、「エミシもクマソも日本なり」もまた、言い得ることではないだろうか。少なくとも私は、古代の九州や東北を「日本」から除外する見方には賛成できない。むしろそれが中央史観と表裏一体で裏返し的に同一のものであることを指摘しておきたい。