近代化狂想曲


福田恆存(つねあり)という人がいる。故人であり、私が読んでお世話になったのは氏が亡くなって随分たってからだ。保守の代表論客と呼ばれたそうである。反動とも言われたそうである。その間の消息は、私は知らない。私は左翼の子である。左翼学者を父として、戦没兵の遺児を母としていた私の家庭では、保守的な価値観というものは教えられたことがない。左翼的リベラルな空気を自明のものとして生まれ育ったのであった。そんな私は、絵に書いたような自由礼賛、ゴリゴリの個人主義者になったのであったが、なぜかしら右翼にになった。これはいいだろう、葦津珍彦、三島由紀夫といった、右翼の先達については、また別の機会に述べたい。私は、保守というものには拒絶感があったのだが、こんな私が叱咤されるような思いで読んだ人が小林秀雄であり、福田恆存である。保守の保守たる人の言葉は、重かった。そのような話題のひとつを、恥ずかしながら述べてみたい。


こちらの付設の掲示newSpeakBBSで、雛祭り論争の中でmacskaさんから、ふと下記のような質問を受けた。

ところでわたしは思うんですが、そんなにわたしのことをアメリカニズムだと言うのであれば、行政が人権啓発事業を行なうのは非常に日本的だとは思いませんか? アメリカ的なやり方は、雇用・住居差別禁止とかの法律をズバッと作ってしまい、あとは法廷に任せるというもので、わたしはそれを支持しているのですが、日本の人権行政はそういうズバッというやり方はしていません。男女共同参画やその他の人権行政が、共同体主義的な啓発的アプローチを続けたために、脱共同体化・アメリカ化した現代の日本人が「ウザイ」と反発するようになってきたという側面はないでしょうか。


彼女も、こうしたことを、ふと考えたりしているのだなぁ、と思うのである。この件については、当方の返答を待つまでもなく、彼女自身は思うところを以下の2006-09-27に綴っている。私の考えとは、異なるところから見ているようである。


維新以降の日本の行政機構というのは、国内最大最強の近代化推進機関であった。これは戦中を含め戦後も同じなのである。そこで言う近代化とは、必ずしも欧米進歩派の思想であるかないかを問いません。「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」の時代から、鹿鳴館の時代、大正デモクラシーの時代があり、「自由主義の時代は終わった、これからは全体主義だ、バスに乗り遅れるな!」の時代を経て、「さぁ民主主義の世の中になりました。これからは私たちが主権者です。国民の意識を高めましょう!」となり、そして現在に至る。まさに「持続する気分」として、ずっと、「国民の意識覚醒を促す」でやってきたのです。


「封建遺制の残滓を払拭せよ!」は、実は明治初期からの一大テーマなのです。これは何と戦時体制期の大政翼賛運動の標語でもあったくらい、中断することなく、官僚から政治家から軍人から学者から新聞記者から、繰り返し繰り返し「我が国の国民の意識の低さが実に問題なのである」と流されてきた。たとえばフェミニスト山口智美さんが批判する「行政の意識改革主義」というのは、まさに「日本近代教育の賜物」でもあるのです。


この意識改革主義そのものを学校で身に付けて育つ、そしてその人が選び取る思想信条は保革左右いろいろあれど、それをして「国民にもっと意識を高めてもらいたいものだ」と思い行動し、そして思うようにならず「我が国の国民の意識の低さはどうにもならない。困ったものだ」と溜め息をつくようになる。そして「ただでさえ意識が低いのに、それを増長させる勢力がある。あんな連中がいるから世の中がよくならない」と恨み、攻撃する。でも、やってることの本質は同じなのです。だからこそ、お互いがひどく邪魔なんだ。


近代化狂想曲。この音色の中で、めいめいに踊ってきたわけですね、同じ舞台にいるライバルの役者を互いに罵りあい殴りあい、時にはこっそり目配せして阿吽の呼吸を交わしたりしながら。舞台の上から何とかして観衆の目を自分に引きつけようと、そして「この舞台に対する意識を高めてもらおう」と。役者の役回りはだいたい固まっており、決め台詞も変わらない。観衆は、なかば面白がりながら、なかば白けながら、思い思いの役者に熱い声援を送ったり罵声を浴びせたりしながら、舞台をぼんやり眺めたりあくびをしたり眠りこけたりしてきたわけです。


私のこのような眼差しは、福田恆存に教わるところが大きいように思う。彼は、このように語っていたのでした。

自分の気質とかくせとかいふものは大事なものであります。それは私たちの、いはば生き方であつて、それを変へろといはれるのは自分の生活が否定されるほどに辛いのです。
私たちの最近の歴史は、さういふ辛い目にばかりあつて来た。文化の混乱であり、文化の喪失であります。もつと遺憾なことは、私たちが、その事実に気づいてゐないのみか、その辛さにも気づかぬほど、すつかり文化感覚を失つてしまつたのであります。だから、食へてはじめての文化といふやうな観念が時代を風靡してゐて、だれもそれを怪しまないのです。そして、かういふ文化概念はもつぱら知識階級の間に流行してゐます。民衆はまだしも文化を持ってゐる。自分たちの歩きぐせや気質を守つてゐます。それを捨てて、新時代についてこられぬ彼らを、知識階級は軽蔑する。が、私はさういふ知識階級を軽蔑したい。文化の混乱の結果、いちばん辛い目にあつてゐるのは民衆です。それも、彼らの間には、まだ文化感覚が生きてゐるからです。

 最近、七五三の祝ひについて、「文化人」の意見が新聞にたくさん載つてゐました。かれらは七五三の本質、能率、経済などの観点から、民衆の虚飾を戒めてゐます。それらは論理的にことごとく正しい。論理的にいへば、七五三の祝ひは不合理です。それにもかかはらず、世間の親たちは虚飾を欲します。彼等が愚昧だからでせうか。そんなことはありません。
 論理の面からは不合理であつても、心理的には合理的であるといふ例が、この日本にははなはだ多いのです。多くの「文化人」は、この非論理的、非合理的な日本の現実に、ただ一途に論理的、合理的な方法で立向かふといふ、まことに非論理的、非合理的な態度を取ってゐます。七五三の虚飾が、なにゆゑ心理的には理にかなつてゐるかについては、いづれ別の機会に書きます。もちろん、だからといつて私は虚飾を奨励はしません。
 私の気になるのは、「文化人」たちが民衆を愚昧から救ひあげてやらうなどと身のほど知らずのことを考へてゐることです。それより、なぜ自分たちの軽薄さを民衆の強靭な心理的執念によって矯めやうとしないのか。いひたいことはこの一事に尽きます。

七五三が頭でっかちな人たちから槍玉に上がっていたことなど、ずっと後に生まれた私は知りませんでした。今、目の前では、雛祭りが槍玉に上げられさうになってゐたのを保守派の人たちが食い止めてくれた。よくやってくれた、と感謝したい。まだ何か言ふ人もゐるやうなので、私は遅ればせに、食い止めてくれた人々が不当な言はれ方をしないやうにしてゐるまでのことでしかない。それにしても、いつまでこんな馬鹿げたことを繰り返すつもりなのだらうか。


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