北海道の球団、初の日本一

数年前に他界した母は、現在の平気寿命からすると随分と若くして亡くなったのだが、呼吸器系の持病を長く長く患った人の常として最期は「まだ生きていてほしい」とは思えない状態が続いていたので、心の準備もできていたこともあり、「早い死」だとは思わなかった。加えて、成人してからの私は母とは折り合いが悪く、妻と結婚するときの悶着から溝が深まってしまい、何事も無かったかのように振舞う母に対して私は、切れてしまった心をどうにも繋ぎ戻すことができずにいたことも大きかった。しかし今夜は、そのようなことを書きたいのではない。


揺れる札幌ドーム…最後の打席で、守備で、優勝が決まって、涙が止まらない新庄を息子と観ていて、ふと思った。亡くなった母はそれとなく野球が好きだった。なんでも故郷を遠く離れ京都に独りでいた頃の母は、なぜか西鉄ライオンズのファンで、大の稲尾びいきだったそうだ。「でもまさか、結婚して九州に行くなんて思ってなかったよ」と笑って聞かされたこともある。生きておればこのシーンを喜んで観ていただろうか。母も泣いただろうか。母は北海道の出身だったから。


辛い思い出しかないから、と北海道のことをあまり語らぬ母ではあったが、しかし故郷への想いはひとしおであることも私は知っていたので、母はきっと喜んだろうと思う。すぐにこちらへ電話して来ただろうと思う。私より、まさに目の中に入れても痛くないというほどに目を細めていた孫が、いっぱしに新庄がどうのと語るところを電話口で聞けば、さらにその成長もあわせて喜んだように思う。


北海道日本ハム・ファイターズ、優勝おめでとうございます。新庄をはじめ選手のみなさん、ヒルマン監督をはじめ関係者のみなさん、そして北海道のファンのみなさん、ありがとう。