「女嫌い/男嫌い」の何が悪いのか

いやまぁ、あんまり度を越すとよろしくはないでしょう。でも、異性への嫌悪感が全くない人って、いるのでしょうか(いるかもしれませんが)。大なり小なり、時と場合によりけり、あるんじゃないでしょうか。それを口にするのは、そんなにいけないことなのか、不思議に思うのです。「えぇ?そんなにいけないことだったっけ」と。たしかに「無闇に」「露骨に」「これでもかというほど」出されると不快でしょう、特に言われた異性の側は。でも、男から「これだから女は嫌だ」、女から「これだから男は嫌だ」って、ただ罵り合うだけなら不毛だけど、言われてみて気付くとか、嫌ごとで耳が痛いけど言ってもらったほうがいいとか、そういうこともままありませんかね。「お互い、なるべくそういうことは言わないほうが、男と女が角を立てずにやっていく良策ですよ」という考え方もあるとは思います。それもわかるけど、私はそれなりに言い合ってもいいんじゃない?要は「お互い様」を忘れないことが肝心だ、と思う人なのです。そこで先日来の「ミソジニー談義」で「は?」と感じたことを書きましょう。


たとえば、田嶋の「男への罵倒」、上野の「男への嘲笑」、これに対する男からの反感、というものがあります。なんかもう「男を馬鹿にするなよ!」というアレです。あれが逆なら、当然「女を馬鹿にしないでよ!」もあるでしょう。で、そうなったらそれはそれでいいじゃん、喧嘩は喧嘩、と思うのです。でも、「女を馬鹿にするのは差別で、男を馬鹿にするのは差別じゃない」という人がいたら、その人が男であっても女であっても、「女は男を馬鹿にしても良いが逆はダメ。なぜならそういう女心をも受け止めてこそ男の中の男だ」ってな意識と無縁のものではないと思うからです。


え?「女は差別される側だから、お互い様ではなく、馬鹿にするのも等価ではない」って?私はそういう「男>女の構造論」にはうなづかないけど、もしそういう「構造」があるという立場に立つのであれば、なおさら「女を馬鹿にするのは差別で、男を馬鹿にするのは差別じゃない」って考えを肯定していいのかな、と。その「構造」を解体するどころかマルっぽ乗っかって強化しているだけじゃないの?と思う。


話がそれました。ちょっと違和感 - 美徳の不幸 part 2自己分析及び言い訳 - 美徳の不幸 part 2の中でt-kawase さんが強く問題提起していた「ゲイのミソジニー」について、実は私の中に、二つの疑問があったのです。そのうちひとつは既にmacskaさんのブログの関連エントリでこのように述べましたmacska dot org » 上野千鶴子氏『バックラッシュ!』掲載インタビューのバックラッシュ性。もうひとつは、「ゲイのミソジニーっていうけど、それだけで差別なの?」ということ。t-kawase さんは、

数年前の僕の教え子で、インカレの某サークル(ゲイや性的マイノリティが集まるサークル)に入っていたのがいたのだが、彼女が一番このサークルで嫌だったことは「男の子が、私たち女を物凄くバカにすること」だったそうだ。ある意味ありがちな男性ゲイのミソジニーなわけだが、こういうのはゲイだろうがビアンだろうが、ストレートだろうが、端的に許されない態度、人間としてダメな態度だろう。

「人間としてダメ」とまで言い放ったのだから、そこまで言われなければならないほどの、どんな言動がゲイの男の子たちにあったのか、具体的に知りたい、と思うのです。そして、女の子の側の言動に問題はなかったのか、それがなぜここでは何も語られていないのか。そこも非常に気にかかるのです。したがってここだけ見るなら、あたかも「男の子が、私たち女を物凄くバカにすること」それ自体が、「人間としてダメ」とまで言われるべき態度なんだという主張に見えてしまいます。すると「あなたが言う人間とは、つまり男のことか?」と。「こういうのはゲイだろうがビアンだろうが、ストレートだろうが」とt-kawase さんはお書きになっていますが、それなら、なぜ女の子の側の落ち度の有無は、全くここで何も述べられていないのか、と。


私がこの疑問を強く抱いたのにはわけがあります。同じくt-kawase さんがコメントを寄せられた、別の人のブログhttp://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20060701/p2#cからです。t-kawase さんがここで書かれたことのうち、

実はそういう評価基準が根っこにミソジニーを置いて成立していて、平等なつもりでも基本的に女性に厳しい視線を向けている、ということなのでしょうね。

私はこれに、非常に違和感を抱きました。異性への嫌悪感については、上記のとおりです。そのうえでですが、「女性に厳しい視線を向ける」ことが、なぜに不平等なのでしょうか。ならば男女平等とは「女性に厳しい視線を向けないこと(嫌悪感を持たないこと)」でしかなく、それはつまり「女に甘いくらいでこそ男」にほかならないのではないでしょうか。t-kawase さんが言われる「話す価値がある」とか「評価基準」とかは、「嫌わない」「厳しい視線を向けない」ことと同義なのでしょうか。Mr_Rancelotさんとt-kawase さんの「男どうし」の談義も、楽しみです。