加害者を睨みつけ被害者を見捨てる

 私が田嶋陽子板に参加していた頃、あるフェミの主婦の人といろいろお話したことで忘れられないエピソードがある。その人の語るところ、このような話である。幼い頃、親戚の男から夜な夜な猥褻なことをされた。ものすごく怖くて嫌だった。それをある日、意を決して母親に訴えた。しかし母親は取り合ってくれず、「夢でも見たんじゃないの?」とか「いやらしいことを言わないの」として却下されて絶望したというもの。そのことのトラウマが元で母親とうまくいかない問題があったり、あるいは男性恐怖からレズビアンになっていていた一時期の話など、あれこれのお話があった。


"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか
 これは結論から言うと、「知的障碍者に甘い」のではなくて「性被害の訴えに鈍感」なんですよ。


仮に、こう置き換えてみるとわかりやすいかと。
この少年が知的障碍者だったとして、その悪癖が「盗癖」だったら?
「すぐにお尻触る」のと「すぐにお店から物を盗ってくる」のとの違いを比べてみる。


「わたしのお尻を何回も触ったんだよ?ほかの女の子も触られてるんだよ?」
という少女の訴えに対して、
「知的障害なんだから、言ってもわからないんだよ…」
というものだったと。でも、じゃぁこれが盗癖だったら。


「うちの店は何度も万引されてる。ほかの店でもやられてるんだ」
という大人の訴えに対して、
「知的障害なんだから、言ってもわからないんだよ…」
で済んだかどうか、考えてみるとわかりやすいかな。


そんなことないでしょう、と。つまり、
ひとことで言えば「まぁ、お尻触るくらいだから」ということ。
そのことは、実は別の増田さんがすぐに書いてるんだけどね。
"障害者"は合法的に犯罪を犯すことが許されているのだろうか? しかしそ..
↑こっちには目だった反応は無し。女の子が性被害を訴えてることが軽視されがちなことのほうが大きな問題じゃないのかな?という意見は重視されなかったということですね。


 私は見ていて、あぁこれは何も変わらんだろうなという気がしました。この子の主張そのものは誤りです。でも、こういう風に歪んだ眼差しを知的障害者に向けてしまうことになった直因は、少なからぬ人のコメントにもあったように、まわりの大人の対応のまずさです。


 ただし、その「対応のまずさ」というときの「対応」とは、誰へのものを指しているのでしょうか。私が見るに、「この女の子への、対応のまずさ。このような目にあった子への心のケア」がまずかったのではないか、私は第一に、それを思います。この子を歪ませたのは何か。それは、「知的障碍者への甘さ」というよりむしろ「性被害者への鈍さ」だと思います。「頭の弱い人だから…」という言い訳が通ったのは、「お尻を触られたくらい」とセットになってはじめて、じゃないのだろうか。


「この子がかわいそう!知的障害だからといって許されるのか!」
って、そりゃぁね、言いやすいでしょうよ。
「知的障害だからといって合法的に犯罪が許されるのか」ということでなら、既に「事実そんなことありませんよ。現に、ほら」という記事がいくつも出てるので、ここでは論じない。


 また、このような場合に勇ましい懲罰論にばかり向きがちなのですが、当の被害者の思惑を無視ないしは却下した大騒ぎの果ての懲罰論には、実はそれはそれで問題があったりします。最近目にしたブログの記事(出典を失念)にもあって「ん…」と言葉につまってしまったのだけど、自分をレイプした加害者を父親が裁判にかけた話なのですが、その人はそうしてほしくはないと父親に訴えてたんだけども、父親はもう懲罰・復讐に燃えて、かえって娘さんの気持ちとはかけはなれてしまって、その人は父親としっくりいかなくなってしまって困っている…という記事でした。懲罰・復讐論を外側から言う前に、まずは被害者に添うことが何より求められるべきじゃないか…とか。


 とは言え、私の言えるのはここまで。この程度が限度。なので私は、平静に「沸き起こった論争」を見ていました。そして、いろいろ派生しくなかで、この子が投じた一石による波紋が「障碍者問題」としてのみ論じられていくのも、障碍者サイドとしては(逆説的にですが)「ん、良いではないか」と思えたのです。しかし性暴力被害者の問題は置いてけ堀です。


 だから、これを性被害の話に展開させていこうとする折田さんの着眼は間違っていないと私は思います。やりとりの中で行き違いばかりでしたが、それはお伝えしておこうと思います。


■追補■
上記の「出典を失念」としたエピソードのエントリは、
-D-I-M- 思わず頷いてしまいました
です。言及先のサトミさんの元記事も併せて参照されたし。