トインビーとハンチントン

http://www.kyoiku-saisei.jp/townm/townm_houkoku.html
↑この中の櫻井よしこ氏の講演内容について、kmizusawaさんという人がこのように書いている(http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20061222/p2)。この意見について、私の感じたことを述べてみたい。この人のブログは私は割りと好んで読んでいるのだが、ご本人が言うように「左巻き」な意見がしばしば出てくる。しかし私は、この人はごく普通に保守的な人だと思える。ことに「左巻き」な意見の箇所は、どちらかといえば(使い古されたサヨクジャーゴンの中で思考停止しているという意味で)守旧的ですらある。私が好んで読んでいるのは、そのような政治的なウヨサヨしている部分ではなく、もっとこの人ならではの斬新で独特な意見の箇所であるので、あまり「左巻き」な箇所については言及する気はなかったのだが、今回の意見は自分の感想を述べたくなった。それは、彼女が先に、歴史が好きで世界史が好きだと書いていたことによる。私も世界史畑の出だから、世界史の話をしてみようかと思ったのだ。


まずは歴史の話ではないのだけど、引用された櫻井発言の三箇所についてであるが、率直に言って文脈を無視しすぎだ。この三箇所はいずれもその段落において前提があり、その流れで読めば特に異常なことは言っていない。

1.ハンチントンの文明論を引用しての警鐘。
2.先の大戦の敗戦後遺症で忘却されたものへの喚起。
3.先人の努力や苦労をしのぶことなく根無し草を気取る精神的脆弱性の指摘。

kmizusawaさんはここで以下のように述べるのだが、

いいかげん「日本は特別」意識ってのはやめてほしい。日本だけが独自に他からの影響を受けずに文明文化を築き上げてきてでも並外れて世界一だったとか言わなくても、愛国心のある人は日本を愛してるだろ? 愛国心のない人に愛国心を持たせるためにこういうことを言うのかね。

ここで以下の例文を比較してほしいのだが、
A「自分(たち)だけは個性的な特別な存在だと思う」
B「自分(たち)にしかない特別な個性を大切にしたい」
…AとBは全く異なると思うがいかがだろうか。櫻井氏は明らかに後者で言っている人である(平素の意見からして)。これが特に「右派的」だとは全く思わない。どちからと言えば、これは左派的な個性尊重論ではなかろうか?もちろんBについても鼻白む向きもあるだろうけれども、kmizusawaさんがどうなのかわからない。この人の普段の論調からすると、Bもまた胡散臭く思う人のように思えるから、もしそうなのであれば、まさにそのあたりのことにからめて違和感を述べてもらいたいように思った。そうでないと、いったい何に反発しているのか、この種の話題について異なる考えを持っている人間(ここでは私)には見当が付かない。また、「鎖国」云々の箇所についても、櫻井氏が言及しているのは「暗黒の江戸時代」のような(明治維新以降に歪められた江戸時代観)ではない見方に言及したものに過ぎないであろうと思うが、どうであろうか、原文がkmizusawaさんの言われるような意味には、とても読めないのである。そして、彼女は続いて以下のように述べるのだが、ここから徐々に世界史の話に移りたいと思う。

こういういい加減な文明観や歴史観を(どこかからの引用であったとしても、何かの例えとしてためにするものであったとしても)垂れ流すのはほんとやめてほしい。「美しい国」の歴史教育はこういう感じになっていくのだろうかと思うと暗澹とするなあ。「千数百年も二千年近くもほとんど鎖国状態」とか「たった一人で、百数十世代もの間、素晴らしい文明を築いてきた」とかって、単純に事実として間違っているような気がするんですが。隣の国と陸続きではないところからこういう発想が出るんだろうけど、こういう人って、昔の人を逆になめてるんじゃないですかね。未知の場所への知的好奇心とか冒険心とか儲け心とか安全に海を渡る技術と工夫のための知恵とかそのための蓄積とか、昔の人だって今の人同様あったと思うんだが。あと、「先人たち」の業績は素晴らしいとしても、なぜそれが「日本国のなし得たこと」になっちゃうんだろうね(それともこれはまた別の項目?)。その人たち個々のなし得たことではないのか。


ここは誤爆である。おそらく引用されたハンチントン説の中の「ひとりで」を誤解したのだと思うが、たとえば中華文明にしても北方の遊牧騎馬民族の文化圏に属していた人たちによってもつくられてきた(彼らが漢土に築き同化しつつ形成した征服王朝が好例だが)。イスラム文明にしても、ひとりアラブ人ではなく、改宗したエジプト人ペルシャ人やトルコ人、ひいては異教徒であるユダヤ人その他の参入によってもつくられてきた。およそ文明圏にはこのような歴史が通例であるけれども、日本文明をつくったのは日本人だけだ…というか、この小文明は日本列島以外への広がりを持たないから日本人しかつくってこなかった(大日本帝国による大東亜共栄圏が実現でもしていたなら別だが、そうでもないから今後も日本人しか日本文明をつくろうとしまい)という、ごく当たり前の論旨である。したがってハンチントンの文明論が下敷きになっているのだから、批判するならまずハンチントンの説を批判することから始めるべきなのに、それを省いたのでは批判にならないだろう。ハンチントンの説については、私は詳細を知らない。が、胡散臭いものも感じており、これから述べることはほんの概略部分である。


実はハンチントンの文明分類は、大歴史家のトインビーの文明分類が下敷きになっている。トインビー説の特徴のひとつとして、欧米の従来の文明論とは一線を画して、「文明」をより広い視野で世界大で捉えたことが挙げられる。また、その一環でもあるが、大文明とは別に、その周囲に小文明を設定したことである。彼はこれを「衛星文明」と名づけたが、その一例として「日本文明」を挙げた。日本文化にも造詣が深かった人だけあって、日本の文化を中華文明の一つとしてしか捉えない(区別の付かない)ありがちな欧米人の見方に異議を唱えたものと言ってよいだろう(トインビーのそれについては、より詳しくは検索等で調べてほしい)。


ハンチントンもまた、日本文明を中華文明と分立して設定する。しかし、ハンチントンはもともと「冷戦研究家」であって、彼が8つに分類する文明圏は「現代の世界」を分類したもの、なおかつ国際政治の文明衝突論としてのものであって、もとより史論ではない(この「史論ではない」という点については後述することとする)。文明は衝突するものであって、現代世界は8つに分類できるから、イデオロギー抗争としての冷戦終了後の世界は、文明の衝突国際紛争の重要な政治力学として抬頭するだろうとの説である。ここで注意深く見れば、トインビーの日本論は(その賞賛的な部分ですら)自分たち欧米文明への警鐘ないしは反省として述べられているものであるのに対し、ハンチントンのそれは、自分たち欧米文明が今後に対峙するのは「異なるイデオロギー」ではなく「異なる文明」なのだ、という点に重点が置かれていることに気付くだろう。留意しなければならないのは、彼の説をなぜか嬉々として受け入れている保守派の言説である。おそらくは、日本一国が中華文明とは別の一文明を成しているとする表現によって、自尊感情反中感情をくすぐられているのではないかと思うが、ハンチントンの説からすれば、日本文明もまた欧米文明と衝突不可避な異文明にすぎないということなのだ。明らかにトインビーの自省的な文明論とは異質な文明論なのである。


したがって、櫻井氏がここでハンチントンの説を引用して自論を述べていることについて、いわば櫻井氏もまた「日本は中華とも欧米とも文明的な衝突は避けられない面があるのですよ。それを覚悟するうえでも、この一国一文明を守っていくことなく国際的に協調も対決もできないのですよ」と言わんとしているのかどうなのか、ということになる。しかし、この講演内容だけではわからない。それが言いたいのであれば、私はそれを一つの見識として否定しない。そのように注意を促すことは、ややもすれば理想的な国際親善に走りがちな意見や、夢見心地の親米派親中派にありがちな幻想への警鐘として、そのような意見があってしかるべきでもあるからだ。ただし私は、欧米知識人の論として、トインビー的なものもハンチントン的なものも(大きな声として)存在するという事実そのものから目を逸らすことには賛成できない。どちらか一方だけをして「欧米人はこうだ」とすることも拙速であろうと思うからだ(先には大日本帝国の孤立、直近ではトルコ共和国EU加盟の是非をめぐる動静も参照のこと)。また日華の文明衝突は、先の大戦に見るような大規模な武力衝突でなくとも、欧米の覇権主義者にとっては好ましいことには相違ないであろう。これは情緒的な日華親善を言いたいのではなく、また日華が別の文明なのかどうなのかといった論とも関係ない。それもまた冷徹な国際政治の力学だろう、ということだ。


つまり櫻井氏は「人の心というものは、どんな外交の言葉にも、どんな安全保障上の武器にもまして強いものがある」と述べているが、それを言うならハンチントン的な言説には要注意とすべきだと考える。櫻井氏の引用理由は不明だけれども、やや安易な受け売りに思えた。


さて、ここでいよいよ本格的に史論に入りたい。私がハンチントン説を「史論ではない」と斬って捨てるのには明確な理由がある。既に述べたように、彼の文明分類はトインビーの文明論の、いわば形式だけの流用にすぎない。彼は国際紛争を呼ぶ衝突の根源的要因として「文明の違い」をイデオロギー対立に替わるもの(そしてそれは「本来そうであったもの」)として見ているわけだ。その文明観の是非はここでは問わない(「政治思想としての文明論」の是非は、「史論としての文明論」の是非とは別だろうから)。端的に言おう。トインビーが提唱したような文明論は、もっとはるかに豊かなものなのだ。日本一国が一文明であるのは、私も史論として正しいと思う。中華文明の枝の一つではない。しかし、それは日本に限ったことではない。東亜の文明興隆史を考えるに当たっては、主に漢人による農耕文明だけを見ていては全くわからない。漢土の北にあった遊牧・狩猟の騎馬民族による、「中華文明の一部であることを峻拒する別の文明圏」の存在の大きさを痛感せねば、この広大な地域の歴史は「中華文明至上主義」から一歩も出ない。


日本人と異なって、漢人は「東洋」という言葉を主に日本の意味に用いる。いわゆる満蒙の地は「北洋」と呼んだ。したがって、この文明をここでは「北洋文明」と仮称しておきたい。この北洋文明が漢土や朝鮮や日本に与えた影響の大きさについては、既に歴史学や考古学、また比較神話学での先行研究によって明らかであるので詳説はしないが、つまるところ日本の古代史すら、この北洋文明を見落としていては見当違いの方向にしか考察することはできないのだ(江上説のような「騎馬民族による征服説」は、考古学的所見などとも整合性がなく、現代では下火である。しかし征服行為のようなことを考えなくても良いであろう。考えてもみてほしい、もしこの北洋文明の態度がなかったならば、はたして古代の倭国はいかにして「中華とは異なる日本」に発展する志向を持ちえただろうか?)。


しかしハンチントンの日本文明観やその亜流の説は、北洋文明のような存在を全く無視して成立している。これは、欧米知識人は往々にして、東亜の中で日本と中国が目立つからそれにのみ着目しがちだということにほかならないだろう。しかしそれはあくまで近現代における短期の歴史的スパンから得られた印象にすぎまい。東亜の諸族・諸文化・諸文明について、あまり見分けのつかない欧米人がそのような印象論に陥るのは致し方ないにしても、東亜の日本人がそのような印象論の受け売りをするのはいただけないことだと思う。結局のところ、「欧米の何某という高名な人の提唱する話題になった説では、このように日本独自のものを言及してくれています…」ということに、何らかの価値をただちに認めることのほうがどうかしているのではないか。すくなくとも私は、そのような感覚を少しも「右翼的」だとは思わないのだが、なぜか左派の人にかかると、こうした感覚そのものが「右翼的」だということになるらしい。左派もどうかしている。


さて、kmizusawaさんの当該エントリのコメント欄には、なぜか場違いな「神話を教えること」への嫌味?のような意見が寄せられている。それは今回、直結する話ではないだろうと思うのだが、これもまた「つくる会がここで提唱しているような神話の語り方」に批判があるのか、「神話を教えることそれ自体」に拒絶感があるのか、全くわからない。このような言及の仕方をしていても、異なる意見の人たちに「自分は何を問題視して、何に反対しているのか」すら、まったく伝わらない。そこで、私が上で言及した北洋文明の日本文明への影響について、ことにその王権神話に見られる古代の国家観への影響について、それが北洋文明によって当時の東亜においては圧倒的に普遍的なものであったことを重視した溝口睦子氏の見解を参照してもらいたい。それは氏の『王権神話の二元構造』に述べられていることなのだが、その一部を紹介した諏訪春雄氏のサイトがあるので見てもらえたらと思う。

諏訪春雄通信 49

いわゆる大文明だけが歴史をつくってきたのではない。東亜でいえば、北洋文明も日本文明も、小なりとはいえ独自の文明圏として歴史の名脇役である。そのよすがを知る上で、児童に倭人をはじめアイヌや韓人や満蒙の神話を教えることも、私は非常に役に立つと思う。戦時体制期における神話の語り方・教え方に批判があるならそれはそれですればいいことだが、いつまでも神話そのものを歴史の中で教えないなどと言っていて、はたして大文明中心主義を超えた視野を歴史の中で学べるのかどうか。世界史的な視野が育まれるのかどうか。この件について、私が守旧的なサヨク言説に大きな異論があるとすれば、まさにそのことである。