民主党は北九州市長選に学んでほしい

 北九州市って、ご存知ですか。学生の頃、東京で「北九州」というと街の名前ではなくて北部九州のことだと思われてました。私は福岡市で育ちましたが、今は北九州に住んでます。この街の市長選で、民主党の北橋さんが勝ちました。普段ならそんなに全国ニュースで大きく報じられるような選挙でもないと思うのですが、ここんとこの柳澤発言の影響で、それと結び付けられてばかり報じられているようです(http://www.asahi.com/politics/update/0205/006.html)。地元の実感とは、随分と異なる方向でばかり、論じられています。しかし、私はこの問題とからめるなら、是非とも民主党に望みたいことがあります。


 柳澤発言の影響の大小は、私にはわかりません。なかった、とは言えないと思います。しかし、それを有権者が最も重視したのであれば、この発言問題が何らかの収束を見たとき北橋さんの役目も終わります。北九州市有権者の多くが、柳澤発言を、そして安倍首相に反旗を翻したのが北橋勝利の第一因であるならば、安部政権が終わればそれで北橋さんも終り、つまり次の選挙では北橋さんは争点を失う、ということになるでしょう。しかし、そんな馬鹿なことはありません。


 北九州市は、門司・小倉・八幡・戸畑・若松という5市が対等合併して誕生した街です。最盛期には関西地区を除く西日本最大の街でした。門司は大陸および本州との玄関港として栄えた港町でした。しかし大戦後には大陸との貿易港としての地位を失い、関門トンネル関門橋の開通によって本州と九州との連絡港としての役目も終り、急激に衰退しました。小倉は陸軍の軍都でした。国内最大級の陸軍造幣廠があり、長崎に落とされた原爆は、その日に小倉上空の視界が悪かったため予定を変更して長崎に落とされたものです。戦後は商都としての役割がありましたが、福岡市が順調に発展していったのに対し、小倉の都心は大きくはなりませんでした。八幡・戸畑は製鉄の街です。これも最盛期には国内最大級の鉄都でした。後背地の筑豊に巨大な炭田があり、その積出港である若松と洞海湾で向き合ったこの地域は、狭いながらに戦後の高度成長を支えた重厚長大産業、その「四大工業地帯」のひとつとして栄えました。エネルギー転換により筑豊に閉山の嵐が吹き荒れて若松も衰退し、やがて製鉄が国の基幹産業ではなくなる「鉄冷え」の時代となり、八幡・戸畑も衰えてゆきました。


 今回の最大の争点は、オール与党だった前任の末吉市政20年、それへの距離の取り方でした。末吉さんが20年前に颯爽と登場した頃は、随分ともてはやされていたのを覚えています。ルネサンス構想と銘打ち、衰退する街に活気を取り戻そう、何とか人口減を食い止めて百万都市を保とう、街の自信を取り戻そうとの訴えでした。ただしその結果は、大きな箱モノを次々に作ったはいいが、テナントが集まらないとか破産するとか、企業誘致に失敗するとか、市民の不満が非常に高まっていたなかでの引退でした。北橋さんは、ほぼ全面的に、市政の刷新を訴えました。対する自民党の柴田さんは、末吉さんと同じく建設行政官僚出身、やはり継承という面が強かった。北橋さんは元は民社党の出身で、新日鉄の労組が最大の支持母体だったそうですが、今回は党派色を脱することに成功したようです。国家議員を何期も務めてきた北橋さんは、もともと柴田さんとは知名度が断然違い、その点で当初から北橋さん有利との下馬評だったのですが、そのうえに北橋さんはより広い市民の市政不満に向き合おうとしたところに、最大の勝因があったと思います。


 北九州市は、歴史的に中央の政治・資本に頼る気風が非常に強い街です。柴田さんがしきりに中央とのパイプを強調し、従来型の選挙に勝機を見出そうとしたのも無理なからぬ面はありました。おそらく保守王国とのイメージはそこから来るのでしょうが、工業都市であったために労組も強く、さほどに保守王国ではありません。九州の中では左派が地盤を築いている街だとも言えます。その点で、保守王国の九州で…という評は、かなりずれていると思います。その一例が、この街はかつて公害まみれであったのが、まだ工業の盛んだった頃からの環境改善の努力もあって、すっかり自然の豊かな街に生まれ変わることができたという流れがあります。産業の衰退、人口の減少、超高齢化…という、まるで日本の将来を先取りするかのような暗い面はありますが、その一方で、ここは非常に暮らしやすい、住み心地のいい街に変わっているのです。周辺の他都市の人がうらやむほど、小児医療などでは充実しており、慢性的な交通渋滞とか水不足もなく、インフラは整っています。そこそこ都会で、そこそこ田舎で、子育てには申し分ない。いい街なんですよ。


 ただし、産業の衰え回復せず、バブル知らずの不景気な街、若い人の流出は続きます。この街から離れたくないという人でも、仕事を求めて出て行く傾向に歯止めがなかなかかかりません。だから、柴田さんはそこに訴えかけたのでした。北橋さんは、それよりソフトだと訴えました。そして、市民の民意は二分し、北橋さんを選んだ人が多かったということです。民主党は、柳澤氏の発言をほじくりかえして糾弾するのではなく、柳澤氏の少子化対策に、真っ向から挑んでみてはどうだろうか。北九州でのことがただちに全国で通用するわけではないしにしても、なぜどのようにして勝てたかということは、その大きなヒントを同党に与えているはずなのですが。