近代化狂想曲


福田恆存(つねあり)という人がいる。故人であり、私が読んでお世話になったのは氏が亡くなって随分たってからだ。保守の代表論客と呼ばれたそうである。反動とも言われたそうである。その間の消息は、私は知らない。私は左翼の子である。左翼学者を父として、戦没兵の遺児を母としていた私の家庭では、保守的な価値観というものは教えられたことがない。左翼的リベラルな空気を自明のものとして生まれ育ったのであった。そんな私は、絵に書いたような自由礼賛、ゴリゴリの個人主義者になったのであったが、なぜかしら右翼にになった。これはいいだろう、葦津珍彦、三島由紀夫といった、右翼の先達については、また別の機会に述べたい。私は、保守というものには拒絶感があったのだが、こんな私が叱咤されるような思いで読んだ人が小林秀雄であり、福田恆存である。保守の保守たる人の言葉は、重かった。そのような話題のひとつを、恥ずかしながら述べてみたい。

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