肌の色と人種概念について

人種をめぐる議論が大隅典子の仙台通信で行われいる。その議論そのものについての感想は、そのコメント欄に少しだけ投稿した。そこで、ひとまず視点を変えて述べてみることととする。まず、人種と言っても多様であるということについてであるが、基本的には肌の色素細胞に含まれるメラニン色素の量によって、褐色に見えたり薄紅指した白に見えたりコーヒーブラックに見えたりするのだ。そのメラニン色素の量にしても、個体の生涯を通じて不変なのではない(日に焼ければ濃くなる)。しかし、そうした「個体差の連続性」や「個体における可変性」をふまえてなお、生まれ持っての色素の可変域があるはずである。それが「集団間の連続性と不連続性」である。たとえば私はごくごく普通の「黄色人種」の肌の色をしているが、北極圏に長く住んだからといって「ノルウェー人のように白くなったり」赤道地帯に長く住んだからといって「ガーナ人のように黒く」なったりはしないのだ。そうした個体レベルの色素の可変域の幅は、遺伝による形質の幅を超えまい。やはり生理的な基盤があるのである。その遺伝的な形質の幅の中で、環境によって「生っちろく色白になったり」「小麦色に日焼けしたり」するのである。

続きを読む